思い立ったら日記 2004



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2004年9月11日

またまた沖縄へ行って来た。
雑誌モノ・マガジンの中のモノ・ルポで琉球の空手と古武道について書きたいと、ひとりで沖縄へ飛んだというわけだ。
琉球のことわざに“意地ぬ出じらあ 手引き 手ぬ出じらあ 意地引き”という言葉がある。
腹が立っても手を出すな、手が出そうになったら怒りを静めなさいということである。
戦争で世界が狂い始めている現代、何度もの侵略、侵攻に合いながらも、目には目で攻める力、人を殺す力ではなく、やはり琉球のことわざにある“命どぅ 宝”(命こそ宝)、その宝を守るべく生きるための、相手の殺戮を止めるための術として生まれた、空手、古武道のことを書きたいと思ったからである。
今回の取材、ひとりということは、もちろん文を書くだけではなく写真も撮っての、取材、写真、文とひとりで創る5ページのカラーページというわけだ。
そして沖縄取材ではいつものことながら、今回も沖縄の人たちに世話になりっぱなしの日々である。
特に11年前に知り合った、小林流空手九段で、伊祖武芸館の館長である津波清先生にはめちゃくちゃに世話になってしまった。
琉球古武術を知りたくて沖縄へ飛んだこともあり、その研究家でもある津波先生は、ぼくの無知な取材に快く応じてくれ、その上、古武道の歴史の資料館までも持つ、古武道の大家、仲本政博先生とも連絡を付けて下さり、今回の取材がとてつもなく有意義なものとなったというわけである。
その上、仲本政博先生の息子であり、古武道のサイ術の世界チャンピオンである仲本守氏にまでわざわざ道着に着替えて撮影させてもらった。

津波先生同様、11年前から世話になり、今月の3日に出した「東洋武術で生命力を高める」の中でも生き様を書かせてもらった、7度世界の頂点に立った傑出した空手の才を持つ佐久本先生にも、今回もまたまた世話になりっぱなしである。
佐久本先生が弟子たちと手作りで建てた、恩納村の道場へ取材に行くときには、弟子で、11月にメキシコで行われる世界大会の最有力の優勝候補である、チュラサムレー(美人空手家)の、豊見城あずさ、嘉手納由絵、清水由佳らなどともに車に楽しく同乗させてもらい、取材の後には、いつものことなのだが、恩納村、石川でみんなとともに夜中の3時まで先生に泡盛を御馳走になってしまった。
いや、それにしてもその夜は楽しかったゾ。

先生たちばかりじゃない。
佐久本先生の弟子の嘉手納由絵さんのおかあさんの友達である、神谷幸子さんには車で知念岬まで連れて行ってもらい、美しい海を撮影することができ、津波先生の弟子である渡久山昌照氏にも世話になっている。
ここまでみんなに世話になったとなれば、これはぜったいいい原稿を書き、ページを創らないと失礼になってしまう。
がんばるしかない!チバインである。

台風の合間の晴れ間の覗く4日間の沖縄取材・・・他にも沖縄に住む友人たちとの飲み会もあり、いつものことながらまったく濃い日々だった沖縄。

今回の沖縄取材での原稿は、10月2日に発売されるモノ・マガジンに載る予定です。
また左の写真は浦添で撮影させてもらった、津波先生です。



2004年9月3日

長い旅の末、やっと入り口に辿り着いた感覚だ。
今日「東洋武術で生命力を高める」(ネコ・パブリッシング)が出版された。
6年前にひとりの武道家と出会った。
岡部武央。
その彼によって、ぼくの武術の旅が始まったといっていい。
武術によって生きる力というものを学んで行くことになったのだ。
それまでぼくは武術とは、闘うための術と思っていた。
だが違った。
この本の前書きの冒頭でぼくはこう書いた。

生きるということは“力”である。
人は生まれた瞬間から、息をすることも、泣くことも、食べることも、糞尿をすることも、寝ることも、そして考えることもすべて力で生きている。
“生命力”という力で生きている。
 
ぼくはスポーツの原稿をいくつも書いてきた。
100メートルを10秒切るアスリート、160キロ近い球を投げる投手、一撃で相手を倒すパンチ力を持ったボクサー、無酸素でチョモランマに登頂した登山家、フリーダイビングで100メートルの潜水を超えたダイバー・・・そんな人たちに出会ったとき、ドキドキするほどの感動があり、そして無条件で尊敬の念を抱いてしまう。
なぜぼくたちはスポーツに感動するのだろうか?
凄いパフォーマンスを見せたアスリートに対して、なぜ無条件で尊敬の念を抱くのだろうか?  
答えは簡単なことだった。
“生命力”の強さである。
スポーツを通して人間の持つ“生命力”の強さに感動し、尊敬の念を抱いているのだ。

そうなのだ。人は力を手に入れたいと思っている。
スポーツ選手なら、鍛え、そのスポーツで頂点に立つことで“生命力”の強さを表現するように、他のどういう生き方をしている人たちも同じ思いがあるはずだ。
学者にしても、医者にしても、農業をする人にしても、漁師にしても、サラリーマンにしても、“生きていく強さ”としての“生命力”の強さをどこかで求めている。
それは病を抱えている人が病を治せる大きな力がほしいと思っていることでもある。
だれもが持っている沸き上がる“生命力”への思い。
その“生きていく強さ”としての力、“生命力”を高めるにはどうすればいいのだろうか・・・

これが前書きの冒頭である。
そのぼくの書いた前書きの冒頭での答えを、いや、道しるべを武術が教えてくれた。
“武医同術”“医食同源”
人が生きる術とした言葉である。
今回はこのテーマを持って岡部武央とともにこの本の取材をし、原稿を書いていった。

つまりこの本は生きる強さとしての武術を探る本である。
そしてこの本が出版されたことによって、ぼくの旅が形として始まったと思っている。

http://quickservice.bosnet.jp/default.asp?pmz_idxSpec=35533
この本は上のアドレスページでも購入できます。



2004年9月1日

今年の台風にはまいってしまった。
一ヶ月前から予定していた御蔵島でのんびり過ごすはずの夏休みが、台風による船の欠航のために行けなくなってしまったのだ。
七千年前の森の探索、野生のイルカと過ごす海へのダイビング・・・
この一ヶ月、その思いを頭に描き原稿を書き続けてきたというのに・・・すべて台風のせいで消えてしまったのである。
それでも海が見たいと、台風一過の晴れ間に伊豆の先端、南伊豆に向けて車を飛ばしていったのだ。
インターネットで見つけた不思議なペンション。
行き先はそのコスタ・デル・ソルという、太陽の海岸と名の付いたペンションである。
伊浜村という小さな漁港を抜け、人里離れた海の真正面にそのペンションは建っていた。眼鏡の門に鉛筆の柵。その中にはリゾート地のコテージを思わせる宿と、本の家という、すべて本のオブジェで創りあげた不思議な建物である。
そう、門、柵、本の家と、すべてイタリア・ベニスの彫刻家、リデオ・デ・マルキ氏の作品なのだ。
本の家の中には不思議な木彫りのいくつもの作品と、大海原の見渡せる岩風呂があり、シャワーもマーガレットの花をモチーフにしたリデオの作品である。
宿の中にもいくつもの作品があり、椅子ならその椅子に座れるといった、作品を見るというのではなく、リデオの世界に迷い込んで、その中で過ごすといった錯覚を感じるペンションなのだ。
オーナーは貿易関係の仕事で、メキシコなど海外で生活をしてきたという夫婦である。
だから食事も、伊豆の魚をメキシコの家庭料理風にアレンジしたものだった。
リデオ氏とは数年前、イタリアで出会い、意気投合してペンションの中に作品を創りあげたとのことだ。
自然の中に溶け込んだ作品はかしこまった風もなく、波の音を聞きながらペンションで時を過ごす。
風と、青い空から真っ赤に染まる夕陽まで、目の前の外海の深い緑の海の音を聞きながら優しい時がただ流れていく。
悪くない夏休みじゃないか。

そして帰り、「田中さん、財布忘れてますよ」と、オーナーの奥さんが財布を持ってくる。
「それはぼくの財布じゃないですよ」と、ぼくは首を振るが、奥さんは「中を調べて下さい」と、ぼくにその財布を無理矢理に渡してくる。
ぼくはしょうがなしに、その財布を開けようとしたときだ。
財布は固まったようにまったく開くことができないではないか・・・
オーナーの奥さんは笑っている。
そう、この財布もリデオ氏の木造の作品だったのだ。
あまりのリアルさに騙されてしまい、そして驚かされてしまった。

最後まで不思議の世界で過ごさせてもらったこのペンションでの空間。
またここへは必ずやってこようと思った。
車にいっぱいの本を積んで、バルコニーで海の音を聞きながらただ本を読みに来ようと、そんな思いで眼鏡の門を出て行った、ぼくの短い今年の夏休みである。



2004年8月26日

バンドである。
漫画家の石渡治氏と、劇作家のマキノ・ノゾミ氏、S社編集の荒木氏とバンドをやろうということになったのだ。
恩師の三浦先生のライブハウスへ11月あたりにライブをやりに行こうと誘ったところ、みんなメチャクチャ忙しいというのにノリノリというわけなのだ。
で、今日は夕方の6時からマキノ氏、荒木氏とスタジオに入り、バンドの練習を始めたというわけである。
マキノ氏は、ビートルズのマネージャーであったブライアン・エプスタインを訊ねて、マキノ・ノゾミが訊ねるビートルズといった、近々NHKで放送される番組でリバプール、ロンドンから帰ってきたところなのだが、そのリバプール、ロンドンの話し
たるや羨ましい限りである。
キャヴァーンクラブ、アビーロード、ジョンとシンシアの住んでいたアパートと訊ね、当時のビートルズを知る人たちに会い、そして何たって、アップルレコードの屋上にも立ったというではないか!
Let It Beでの、あのGet Backが歌われた、そう、あの、あの屋上である。
まさにぼくらにとって伝説の聖地ではないか。
そんな話しをしながらのバンド練習だったものだから、最後はビートルズの曲のオンパレード。
練習後の飲み会も、阿佐ヶ谷のビートルズの店、「ストロベリーフィールド」である。

そこで、仕事の打ち合わせで遅れていた石渡氏が、最近始めたというウクレレを持って登場なものだから、今度は石渡宅に行ってスタジオ練習のつづきというわけだ。

酒を飲みながらギターをかき鳴らしてのセッション。
みんなすでに40才半ばを過ぎているというのに、よく考えてみたら学生時代とちっとも変わってないではないか・・・
だが楽しいゾ!
石渡宅を出たのが朝の5時前。
11時間もの間、今でもバカなことができているぼくらは、何て素敵なんだろうと、そんな仲間のいることに嬉しくなった一日である。



2004年8月23日

終わった!終わった!終わった!
「東洋武術で生命力を高める」(ネコ・パブリッシング)のすべての原稿がすべて上がり終わったのだ!
今回のムック本、写真、イラスト、文、取材とフル回転。2ケ月半で一冊創りあげたわけである。
それだけじゃない。
劇画の原作、エッセイ、コラム、イラストの連載原稿だってその間で上げていっている。
いや、まだあった。
今回一番の障害はTVだった。サッカー、高校野球、そしてオリンピック・・・
とにかく見たいスポーツの時間は、TVをつけててもできるイラストを回していたのだが、オリンピックが始まってからは、もうそれだけじゃ収まるわけがない。
この金メダル奪取に「仕事なんかしている場合じゃねぇ!」と、TVの前で騒ぎ、終われば深夜に友人の作家たちとその興奮を電話で伝え合う日々。
寝られるわけがない。
1〜2時間の仮眠な毎日。
そんなことをしてよく原稿が上がったもんだ。
最後は、さすがに頭が真っ白になって、とにかく頭が働かないでの原稿。
さすがに編集の篠原さんから直しが入り、その直しを見てあまりにひどい原稿を書いていた自分に愕然。落ち込んでしまったほどだ。

そんな後半の一番苦しい時期、いつも心を和ませてくれたものがあった。
あいかわらずアトリエの、原稿を書いている部屋の窓からはネコたちが不思議そうに覗いている。
その覗きに来るネコの中に新たな仲間が増えていたのだ。
そう、子ネコである。
いつも覗きに来ているネコの一匹が子供を生んだのだ。
母ネコに連れられてその子ネコはいつもやってくる。
疲れたとき窓越しにそのネコの顔を見るだけで、いい癒しになっていた。

そんな子ネコのおかげもあってできあがった「東洋武術で生命力を高める」(ネコ・パブリッシング)は、9月3日発売である。





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