| | 2009年3月21日
文星芸術大学マンガ専攻第一期生の卒業式が20日に終わった。 不思議な気持ち・・・ 生徒というより、友という関係がいつのまにかつくられていた、特に自分のゼミ生との関係。
大学へ行きだして2年、教えるというより、いっしょに作品を創っていく日々だったキャンパスでの毎日。 いっしょに酒を飲み、大笑いし、大声で歌いあい、時には熱くなって語りあい、不安にかられた夜の電話が鳴り、朝まで話し込んだことも何度もあったな。
そうだった・・・ 忘れていたプラトニックな恋愛相談を、みんなからずいぶん持ちかけられ、失恋の痛手を慰めもしたな。 何か、とても透明な青い時間を、ぼくのもう忘れた過去だったはずの臭いをいっしょに共有することができた友たちとの時間。
大学という空間で創造しあった友たちとの日々。
その友たちがキャンパスを出て行くという卒業式・・・ ちば先生も言っていたんだけど、実はぼくにも卒業という実感が式では沸いてなかったんだ。
卒業式が終わり、みんな笑顔で、記念とばかり写真を撮りまくり、お別れ会のパーティでは、ここぞとばかりに、肉からケーキまで、いつもの飢えた学生そのままの姿がそこにあって、ただただ笑い合った時間・・・
そして夜。 卒業生たちが開いてくれたお別れ会。 そこで渡されたみんなからのプレゼントに寄せ書き・・・ ははは・・・ Uくん、Kくんからあの寄せ書きを渡されたとき、実はたまらなく目頭が熱くなってたんだ。 寄せ書きの言葉をちゃんと読んでたらヤバそうで、笑って終わらせたかったもんで、急いで読むのをやめたんだ。
深夜までみんなと飲んで、そして今、東京の仕事場でみんなからもらった寄せ書きの言葉を読んでいる。 ははは・・・ 今は何度も読み返しながらもうグシャグシャだよ。
ありがとうな。 友よ。
33年前大学を除籍のぼくは、まだキャンパスから卒業できないまま・・・でも、それでみんなに出会えてありがとう。
一生の友たちへ。 |
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| | 2009年3月7日
創るというのは実におもしろい。
自分のあらゆる作品を振り返ってみると、ノンフィクションと言われている分野での作品が間違いなく多い。 ただぼく自身は、ノンフィクションといったスタンスでは書いてきてはいない。 人間を書く。 生き様を書くということは、生きている人間を書くということだ。
そういった意味で、フィクションとノンフィクションとは、まったく同じ作り方で作品を創ってきている。
生きたキャラを創るということは、生きた人間を書くということだとぼくは思っている。
昨年末のドラフト会議で、吉田えりという女子のプロ野球選手が誕生した。 関西独立リーグ、神戸9クルーズに所属する背番号17番の投手だ。 武器はナックルボール。
彼女の話題性もあり、数年前に千葉きよかず氏と組んで原作を書いた「剛球少女」が、今日からコンビニなどで売られる単行本として復刊された。
この作品の主人公、麻生遥が、ナックルを武器として名門野球部で甲子園を目指し、そしてプロ野球選手となっていくというストーリー。 つまりは、数年前に吉田えりを予言する作品があったと、そんな声がでてきたことでの復刊である。
この作品を書いたときのことを思い出すと、大げさに言えば、高校野球連盟への挑戦で書いた作品だった。 高校野球はPLの桑田、清原の時代から原稿を書いてきたわけだから、20年以上高校野球を取材で見てきた世界だった。 その中で実は、何人かの女子の野球部員に出会っている。 その実力に驚かされた女子選手が何人もいる。 中学では野球部の中心選手だった、ショートストップの選手は本当に凄かった。 だが、高校の野球部では、大会参加資格の中に、「その学校に在学する男子生徒」という規定が盛り込まれている。 これは、少年野球からプロ、メジャーまですべて含めて、高校野球だけが女子の参加を認めない規定をつくっているということだ。
ならばと、剛球少女は、つまりはその規定に疑問を投げかけるべく書いた作品でもあった。
現実に麻生遥が生きているなら、何を武器にその大きな壁と闘っていくのか・・・ 挑戦するということは、リアルでなければ説得力はまずない。 女子の野球選手、運動学の専門家たちに取材を進めていくと、筋力、骨格、手の大きさ他から、リアルに野球界で通用する、男に負けないレベルを持つ選手となると、ポジションは一番が投手、そして決め球はナックルが一番リアリティのある球だとなったわけである。
それは確信を持って創り上げていったキャラクターだったのだが、そのナックルを武器としたプロ野球投手が本当にリアルに生まれてきた。
創るということは実におもしろい。
リアルに生きる吉田えり投手よ、がんばってくれ!
「剛球少女」復刻版はマンサンQコミックスから、コンビニ、全国書店で、今日、3月7日発売しています。 帯は、剛球少女を連載当時から応援し、読んでくれていて、ラジオにも出させてもらった伊集院光さんが書いてくれました。 |
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| | 2009年2月20日
ぶらりと好奇心のまま走っていく。 それは旅であったり、人であったり、日常の中であっても、好奇心のアンテナが感じたら走っていくということだ。
ものを創るという仕事をしている以上、その好奇心のまま動けなくなったときは終わってしまうと思っているし、また、動かなくなったら作家としては終わりだと思っている。
大学へ入学した年、1975年はプロのマンガ家になるために下宿で大学も行かずマンガばかり描いていた。 ちょうど少年ジャンプで賞をもらい、担当の編集者もつき、つまりは今からというときに、フラリと行った大学の、三浦久先生の授業で、高校時代から創っていた曲の一曲を弾いたことから何かが走り出した。
実はそのとき人前で歌ったのは初めてで、それから一ヶ月もたたないうちに、デモテープをとられ、レコード契約をし、佐世保の公民館のステージに、入った事務所にいた、故河島英五さんと立って歌っていた。
その河島英五さんの前座として、全国、北は旭川から南は沖縄、久米島まで86カ所のツアーを回ったのが1977年〜78年のときである。
今考えると、マンガ家として掲載にすぐ手のとどくところにいながら、よくもまったく未知数の世界に入ったものだと思っている。
好奇心だった。 ものを創るという意味で、音楽もマンガも同じ感覚でとらえていたように思う。
10代の好奇心から、当時の芸能界という世界のど真ん中も見ることができた。 山口百恵さんと大阪へ向かったり、ピンクレディーのデビューの場にもいたし、和田アキ子さんの肩ももまされたな・・・ 映画の制作の世界も見れたし、故黒沢明監督にも会うことができた。
そんな中で、後にものを創っていく上で、力になってくれた人たちとの出会いがこの時代にいくつか生まれている。 当時のことは、HPの「あの頃ミュージシャンだったような思い出」 に書いているので、興味があれば読んでおくれ。
とにかくこのときの好奇心が間違いなく今の自分をつくっている。 あのとき、音楽へは行かずにマンガを描いていたら、たしかに今の自分とはちがう自分になっていたと思うのだが、あのとき動いたことは正しかったと思っている。
ものを創っていく中で、動けなくなったら終わりということが、長年ものを創ってきて確信していることだ。 つまり、好奇心に対しては、動かないということは、動けないと同じことなのだ。
あのとき動かなければ、音楽をやってきた5年強の時間と経験は存在しなかったし、そして今、バンドを組んだり、ライブをやったりと、この年になってもこんな最高な気持ちにさせてもらえる場も存在しなかったということだ。
それに動かない自分があのときいたなら、ものを創って生きている今の自分があったかそれも疑問かもしれないと感じている。
長々と書いたが、つまりはこれが言いたかったわけだ。 今週の日曜日。高円寺の「彦六」で、みつばち涙ちゃんと19時よりライブをやります。
http://www.inv.co.jp/~hiko6/ (彦六HP)
「あの頃ミュージシャンだった思い出」の曲をいくつかやろうとおもっているので、ぜひ遊びに来て下さい。
また、2月24日(火曜)、鹿沼でも大学の田中ゼミのヌマーンたちと「永遠の月ライブ」を、日光なごみ亭「久遠の月」で19時からやります。 http://www.geocities.jp/kuon_moon_since2008/ (久遠の月HP) 「久遠の月ライブ」チラシ拡大版 ←クリック!
画像に、ヌマーンのつくったライブのチラシの画像を載せておくので、こちらもヨロシクです。 |
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| | 2009年2月5日
今週月曜日、「ザ・ローリングストーンズ・シャイン・ア・ライト」 の映画を見てきた。 ミック、キースともに65歳というのにとにかくかっこいい!もちろん、67歳のチャーリーだって、61歳のロン・ウッドだってかっこいいゼ。 自由だと思った。 ここ10年ほどぼくがよく口にする、生命力を感じた。 これがロックな生き方だと思った。
昨日は大学で生徒たちが開いた「おつかれさま会」に出て、春からゼミ生になる3年のヌマーンやちばてつや先生と即席バンドで演奏。 そうだ・・・ ぼくが大学生だったころはみんなストーンズを聞いて、コピーしてギターをかきならしていたことを思い出した。
宇都宮から東京への帰りの車の中、ちば先生とそんなロックな生き方の話をしながら高速道路を走り抜けていった。
もうすぐ52歳になる。 でもストーンズを見て、70歳のちば先生を見て、まだまだロックできるぜという勇気をもらっている。
そんな52歳になった次の日。 2月22日に、高円寺の「彦六」で、ばちちゃん(みつばち涙)とライブをやります。 http://www.inv.co.jp/~hiko6/ (彦六HP)ぜひ!
「あさもり かい」という、むかし、音楽をやっていた時代に使っていた名前でここのところライブをやっているのだが、そうだ・・・ ぼくがマンガを描いていて、初めて雑誌にマンガ賞の佳作の欄にだが載った名がその名前だったことを思い出した。 3日に、文化庁メディア芸術祭で、ゼミ生の薄くんが審査委員推薦作品に選ばれたこ とで、贈呈式と祝賀会に出席。 そこに、17歳のときに、初めての担当編集になってくれた当時少年ジャンプのOさんに久しぶりに出会ったのだが、そうだ、その当時に使っていたペンネームだった。
そう、このことも書いておかなければならなかった。 ゼミ生の薄くんの作品が、2月4日〜15日まで、六本木の国立新美術館で展示されています。 http://www.nact.jp/ (国立新美術館)
内覧会へも行ってきたのだが、実におもしろい。 アートの自由さを感じる作品ばかりで、薄くんの創ったケータイで見せるためのデジタルコミックもぜったいにおもしろい。 入場無料なのでぜひ見に行ってほしい!
ライブもヨロシク! |
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| | 2009年1月3日
流れる水は決して腐敗しない。 だからただ「流れ続け」なくてはならない。
水から学ぶべきものとして、ブルース・リーが残した言葉のひとつである。
自然から学ぶということは、つまりは自然からエネルギーを得るということである。
若いころぼくは間違いなく人からほとんどのことを学び、エネルギーを得ていた。 身近な人であったり、「あしたのジョー」といったマンガであったり、「八月の濡れた砂」といった映画、そしてブルース・リー、寺山修司、ロベルト・デュラン、浜田剛史、ディェゴ・マラドーナ・ニール・ヤング・井上陽水といった数え切れない感動を受けた人たち・・・どれだけ大きなエネルギーをもらっていたか計り知れない。
だけど、数年前、自分自身というか、人は自然の滴(しずく)、人間自身が自然だと思えるようになってから、自分のエネルギーの軸は生きている自然だと感じるようになっている。
そんなこともあり、今年の初詣も江ノ島神社の奥津宮に向かった。 いくつか自分の大好きな場所というものがある。 エネルギーが落ちたとき、その場所へ行けば元気が出るという、自然と向き合える場所だ。 江ノ島もその中のひとつである。 江ノ島の一番奥の神社、奥津宮の先に稚児ケ淵という海の岩場に下りられる場所がある。 正面の海の向こうに富士山が見え、その横に沈む夕陽から数え切れないエネルギーをもらってきている場所だ。
その夕陽の時間に合わせてカミさんと江ノ島の稚児ケ淵に向かった。
そこには見事な夕陽があった。 キラキラと光る海があった。 その海を感じ、夕陽を身体いっぱいに浴びてきた。
押し寄せる波が飛沫を上げる。 岩場から美しい透明な海をぼくはのぞき込んだ。 「流れる水は決して腐敗しない」 ブルース・リーの言葉がそこにある。
自然から大きなエネルギーをもらい、奥津宮に手を合わせ、やはり江ノ島の中にある、そのときだれも参拝者のいなかった児玉神社に引き寄せられるように参拝した今年の初詣。
さぁ、流れつづけるための2009年がはじまった。 |
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