思い立ったら日記 2007



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2007年3月7日

寒さと暖かさが流れていく。
春はもうすぐだね。

今年はそんな春のツボミの風が、ずっと昔、そう、大学へ入学が決まり用意をしていた1975年と同じ風が心の中に吹いてるんだ。

4月から、現在制作しているケータイを中心としたデジタルコミックの、まだまだ無限の可能性を秘めている見せ方、制作の研究。
そしてまだまだ人材がいないこの世界での人材育成の必要性から、ちばてつや先生の教える「文星芸術大学」、牧野圭一先生や竹宮惠子先生のいる「京都精華大学」と、大学でも教えることになったんだ。

昨日はその「文星芸大」のちば先生他、ほとんどの教員が集まっての会議。
いよいよ始まろうとしてるんだよね。
教えに行くというのに、どこか新入生として大学へ行くという、あの75年の春の気持ち。 


いや、教えに行くんじゃないんだよね。
ぼくが今やろうとしているのは、まったく新しいマンガの表現法で、その表現する場は、ケータイ、パソコン、電子書籍と、魅力ある場があるのに、その場で見せるための制作ができていないという、作り手としてのジレンマ。
だからね、生徒といっしょに創っていこうというスタンスでやっていこうと思ってるんだ。
もちろん、ぼくの持っているマンガのノウハウ、取材などのノウハウは教えるけど、まずはみんなが驚くもの、読み手が夢中になるもの、それを大学という、「実験」ができる場で創って、そして育てていきたいと思ってるんだ。

不思議なもんで、実はぼくは今回行く大学のひとつ、「京都精華大学」除籍なんだよね。 


昔、友人に「音楽やって、絵を描いて、好きなスポーツ選手を追いかけて、物語を書いて・・・おまえだけはずっと大学のキャンパスの中にいるような生き方をしているな」って言われたことがあるんだ。
ぼくはそのとき、「卒業してないからな」って、冗談ぽく答えたことを思い出したよ。 


そう、そうなんだ。
卒業してないもんで、また京都精華大学のキャンパスへ帰るという思いが、あの75年のときと同じ風の流れとして感じているってわけだ。
32年間の休学明けだな。


今日はね、1年ぶりに野球をやったよ。
ちばてつや先生のホワイターズと対戦。
久しぶりのピッチャーなもんで、ボカスカ打たれてね。
でもね、楽しいんだ。
小学、中学、高校と野球をずっと野球少年だったもんで、野球をやればあの時代の風が吹くんだ。

ヒットを打って、ファーストに出たとき、ファーストを守っていたちば先生がね、「大学に女の子もできるソフトボール部を作ろう」って言ってきたんだ。
もちろんぼくは「はい!作りましょう」って大きく頷いたってわけさ。



2007年2月23日

21日にまたひとつ歳を取ったよ。
うん、ついに大台だ。

その日の夜、カミさんと西新宿にある北海道料理の店でご飯を食べたんだ。
44階の窓際の席で“東京”を見ながらの料理。
またまた“毛蟹”なんて食べたわけでね。
そんな少し贅沢な料理を食べ、酒を飲みながら見つめる“東京”の夜。
どこまでもつづく地上の星空に、「もうこの街に来て26年か・・・」って、少し感慨。 


そんな東京で生きてきたと言ったら・・・少し違う。
そうだ、「阿佐ヶ谷」「高円寺」で生きてきたと言った方がシックリくるな。

「阿佐ヶ谷」「高円寺」は広島、四国の丸亀にいた小学、中学、高校時代、そして京都に住んでいるころから小さなあこがれのあった街だったんだ。

「阿佐ヶ谷」は、大好きだった漫画家の永島慎二先生の「若者たち」「フーテン」を読んで、その舞台だった青春の街、阿佐ヶ谷にあこがれ、「この街で漫画家になるんだ」なんて、田舎で勝手に思っていてね。
それがね、永島先生とは阿佐ヶ谷で出会って、いっしょに何度も酒を飲ませてもらってね。

「高円寺」は、よしだたくろうだな。
たくろうの曲に「高円寺」って曲があってね。
〜君はどこに住んでいたのですか 高円寺じゃないよね〜
たくろうが広島から東京へ出てきて、最初に住んだのが高円寺って知って、何か「夢に向かってがんばる街」ってイメージがあったんだろうね。

「阿佐ヶ谷」と「高円寺」ではもう20年以上。
夜な夜な飲み歩いて20年以上だよ。
いきつけの飲み屋は星の数ほど、そこでいっぱいの人たちと出会い、別れてきたんだよね。憧れのギターリストの、竹田和夫さん、石やんに出会え、飲み歩いたのもこの街だし、かけがえのない友人たちと今でも飲み歩けている街が、「阿佐ヶ谷」「高円寺」なんだ。
「だらぁ〜ず」のバンド練習、ライブをやっている拠点も「高円寺」だし、「阿佐ヶ谷」「高円寺」で、若いミュージシャン、作家、役者たちと出会い、エネルギーの交換できているのもこの街なんだよね。

ある意味、今でも青春の街。

そんなもんで、ぼくにもこの街を舞台にした作品もいくつもあってね。
今、ドコモの「最強☆読書生活」で配信している小説、「ド☆ぴんく」はまったくの阿佐ヶ谷が舞台だし、ソフトバンクの、「最強☆コミック」で配信が始まった“愛する女優”シリーズの第一弾、女優の津留崎夏子さんをイメージした「Flat Love」も阿佐ヶ谷が舞台なんだよね。
(「Flat Love」は、3月からドコモでも、4月からはauでも見られるよ。)

ひとつ歳を取り、それだけ「阿佐ヶ谷」「高円寺」で生きていく年月も重なって行き、そしてこれからもこの街で生きて行く・・・うん、わるくないよね。



2007年2月8日

毛蟹がやってきた。

年賀状のお年玉で、二等の地域の特産品小包が当たって、それで選んだ毛蟹がやってきたってわけだ。
今年は他に、切手セットが4セット当たって、年賀状運は例年に比べて当たり年だったようだ。
そういえば、前に地域の特産小包セットが当たったときに選んだのも毛蟹だったな。
つまりはぼくは大のカニ好きなのだ。

ズワイから始まり、タラバ、花咲、ワタリ、上海などとにかくカニと聞けば目がないわけなのだが、そんな中、「これはたまらん!」と唸ったカニがあること、今、日記を書きながら頭に浮かんじまったよ。

そう、西伊豆の深海に生息する高足カニ。
いや、高足カニをただ茹でて食べるだけじゃ、淡泊な味だけなんだけど、西伊豆の磯の宿の大将のところで食べた高足カニはとにかく絶品。

高足カニのでかさは足を広げると大きい物になると3メートル近くあるでかさで、甲羅も縦40センチは超える大きさなんだよね。
そんなでかい高足カニを塩ゆでにして、ズワイの何倍もある太い足の身をまず甲羅の中の豊富な甘いミソにドッポリ付けながら食べるんだ。
うぅ、これがまずたまらん。
そしてね、身を食べ終わったら、ここからまるで鍋のようなミソの付いた甲羅に日本酒を入れて、それを火であぶり、甲羅の中の酒をみんなで回し飲みするんだよね。
甲羅の香ばしさと、ミソの甘み、それが日本酒と混ざり合って・・・
うぅ、これまたたまらん。
最後に、少し取っていたミソと内臓の身を甲羅に戻し、雑炊だよ。
酒の染みこんだ甲羅でグツグツと煮ながら、甲羅の香ばしさ全快の雑炊だよ。
こんなうまい雑炊は大将以外のとこでは食べたこと、未だにないもんね。
あぁ、少し落ちついたら大将のところ行きてぇなぁ・・・

で、話しは戻って、今日の毛蟹もメチャクチャ美味くて、とてもしあわせな気分になれた、ホント、今年の嬉しいお年玉だったのだけど・・・

こんなこと書いたもんで、高足カニが食いてぇ!



2007年1月31日

ポカポカ陽気。
まるで春の陽気な昼、自宅からアトリエへと自転車で走って向かったんだ。
ホント、春を感じる風が吹いててね。
そう、春の風って、18才のときの、大学で京都へ行った左京区の岩倉の思いが風とともに蘇ってくるんだよね。
まだまだ青い、まだ何者でもなくって、でもいっぱいのやりたいことの夢が渦巻いて、そしてやはり青い、恋に憧れ、sexに憧れていた、青い春。
そんな青春の風を感じながら、ぼくは二日酔いの頭でアトリエに向かって自転車を漕いでたんだ。

二日酔いというのは、昨日、高円寺の彦六でばちちゃん、マキノくんと3人でのライブが最高に楽しくって、それでね、最高に楽しい酒を飲んだのがまだ残っていたってことさ。

ステージは三畳の畳の上、そこでマキノくんと、あの京都の下宿での、酒を飲みながらギターを弾き歌っていた青い春を再現しようということで始めたライブだったんだよね。
あの時代よく歌っていた井上陽水の曲を中心に、オリジナル、そして河島英五さんから授かった曲も何曲か歌ってね。
マキノくんが歌っているときには、飲みながら客席からぼくがハープで参加したり、ぼくが歌っているときは、飲んでいたマキノくんがピアノで突然加わったりと、そして知っている歌はみんな飲みながら口ずさんだり。
ゲストには、日生劇場のミュージカルが終わったばかりのドリちゃんも歌いに来てくれて、最後は、だらぁ〜ずバンマスのアラキさんもベースで加わって、来てくれたみんなと歌って、いやいや楽しかった。
彦六という下宿に、大勢の友人たちが遊びにきてくれた、そんなライブができたと思っているよ。
遊びに来てくれた客には、歌っているぼくらよりも有名な役者友達がズラリで、よく飲みに行く飲みやのマスター、友人たち、河島英五さんの昔からのファンの人も遠くから聞きに来てくれて、そんな中で、一番楽しんだのは間違いなく、ボクとマキノくんとばちちゃんだったと思うけどね。

とくに、マキノくんとぼくは完全にあの京都の岩倉を彦六に持ち込んでしまったもんな。 


風が吹いたよ。
あの京都の岩倉の風・・・
比叡山が目の前に見えたよ。
叡電が田圃の中を走っていたよ。
王将の餃子、出町柳、鴨川、ほんやら洞、一乗寺、サーカス&サーカス、拾得、たくたく、京一会館、恵文堂、カントリーカンフォード、三条河原町、宝ヶ池ホテル・・・
いっぱいの京都が、目の前を楽しい酔いとともに通り過ぎていったよ。

彦六のマスターありがとう。やらせてもらったぼくらが一番楽しませてもらいました。



2007年1月28日

メチャクチャ忙しい毎日がつづいているんだ。
でも、悪くない忙しさ。

今年に入ってやってきたことが間違いなかったって、確信する毎日。
とにかく大きく動き出したことだけは間違いないもんね。
いろいろな人たちが集まってきて、つい1年前なら見向きもされなかったことが、「凄い!」と言われる面白さ。

もちろん仕事なもんで、契約書などシビアなところは、とことん納得するまで話し合っているもんだから、金銭的な面では遅れはでているけど、ここだけはキッチリやらなきゃならないもんね。
昨年より動いていた企画も、少し遅れはしたものの、とにかくどんどん形として出来上がってきているんだ。

きっとここまでこの日記を読んで、「何のこっちゃ?」ってわかんないと思うんだけど、書けないんだよね。
新しいことを始めるってことは、つまりはシークレットなことばかりってことなんだな。 

でも、とにかく凄い人たちと組んで・・・あぁ、この先もシークレットか。

ならば忙しさのもうひとつ。
実はそれと同時に、春からケータイコミック「クリコミ」の可能性と研究、そして制作と人材育成をかねて、関東、関西のふたつの大学で教えるもんで、今、授業と講義のシラバスとカリキュラムなんてものも作っていてね。
でもね、これもまだだれも足を踏み入れていなかった創作なもんで、マニュアルなんてなくってね、ちばてつや先生からも、「授業も実験と思って新しいことをドンドンやったらいい」って言われて、ホント、けっこう面白いカリキュラムを立てさせてもらってます。

うん、始めて足を踏み入れるということに関して、今週メチャ嬉しいことがあったんだ。 

最近、とにかく毎日のように初対面の人たちに会ってるのだけど、今週の月曜日、とてつもなく凄い場所に、日本人で初めて足を踏み入れた凄い人と出会うことができたんだ。
日本人初のメジャーリーガー、マッシー村上こと、村上雅則さんに会って話しができたもんね。
あの野茂英雄がドジャースのユニホームを着て、メジャーのマウンドに立つ30年前に、SFジャイアンツでマウンドに立ち5勝を上げ、三振なんて89の投球回数に対して、メジャー相手に100個の三振を奪ってるんだぜ。
当時、メジャーのチーム数が20チームしかなく、今よりも遙にメジャーに上がるなんて、超のつく一流だけの世界だった時代に、メジャーで投げてたなんて、どれほど凄いことか!
ちば先生に紹介してもらったんだけど、いっしょにいた某○学館のアラキ氏と、子供のように大興奮だったもんね。
もう、出てくる選手の名前たるや、ジャッキー・ロビンソンから始まって、ホアン・マリシャル、ロジャー・マリス、ぼくが大好きだったボブ・ギブソンと、もう、メジャーの伝説の選手の名が次々と、出会った選手、いっしょに戦った選手として出てくるんだぜ。
そして極めつけがカル・リプケンとの凄い話しに、アラキ氏とひっくり返っての大興奮だったよ。

うん、初めて足を踏み入れ戦えるという栄光を、マッシー村上さんから教えてもらって勇気百倍!
がんばんなきゃ!
いやいや、サインなんてもんももらって、今、机の前に貼ってるもんね。

さぁ、今からはまた、締め切りの過ぎている自分の原稿を書くとするか・・・

そうだ・・・彦六でのライブは明後日の30日。
そっちの練習もしなきゃな。





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