思い立ったら日記 2010



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2010年5月24日

人生はつくづく「縁」で動いていると感じてしまう。

もう、3月に入っていただろうか、知り合って二十年近い友人の梅津くんから、「あしたのジョーの映画のアクション監督に決まりました」と車に電話があり、そのとき、運転席の横に乗っていたのが、ちばてつや先生だったのだ。

車は、電話の声がスピーカーから聞こえ、運転席の上に付けられたマイクに向かって話すシステムなものだから、電話をかけてきた梅津くんが、まさかそこにちば先生がいるとは知らず興奮気味に熱く「あしたのジョー」への思いを語った言葉が、ガンガンスピーカーから流れてくる。

そして話終わったところで、ボソリとちば先生が「よろしくね」と、梅津くんに言ったときの、その声たるや、電話の向こうでひっくり返っている光景が目に浮かぶほどの、凄い声が車に鳴り響いたものだ。

その「あしたのジョー」の撮影に、実はこの数十年に知り合った友人たちが、次々とスタッフとして、役者として関わってくるではないか。

そんな仲間の遊び心も手伝って、映画の出演に担ぎ出した元世界チャンピオンの友人もいる。

いや、関わっている友人ばかりではない。

T・R先生とも、ここ何年か忙しすぎて、なかなか会えなかったのだが、ジョーの撮影見学に合わせることで、無理矢理スケジュールを調整して久しぶりに会うことになっている。

「あしたのジョー」という、自分にとって生き方を決めた、まさに同じように「あしたのジョー」で育ち、出会ってきた仲間がこうして集まってくる不思議な「縁」を今、感じている。

そして、集まった仲間たちを通して新たな出会いがあり、「縁」がまた広がっていく。

「縁」というものは、ある意味、不思議な力によって動いているものかもしれない。

今年、夏に一ヶ月ばかり中国へ行くと決めている。

目的のひとつは、中国の漫画家と杭州でマンガの講座をやることなのだが、もうひとつ。

自分のライフワークといっていい作品のテーマ、「武術」の取材で、河南省の嵩山少林寺へ行ってこようと思っている。

これが少林寺へ行くと決めたときから、いろいろなつながりが、天から降ってくるような不思議さ。

中国拳法でだれもがその実力に一目置く、小林直樹先生が本を出すというので、何年かぶりに電話があり、武道家の友人、岡部武央氏からも連絡がくる。

そこから、少林寺、そして禅を通しての不思議な出会いへと結びついていく。

他にも、禅と合気といったキーワードで、この一週間、一気に「武術」に関するいろいろなことが、出会いよりも、もう少し濃いつながりとして押し寄せてきている。

けっきょくはそういうことかと実は思っている。

日記で何度も書いてきたことなのだが、「面白いことをやれば、そこには面白いヤツらが集まってくる」。

そういうことなのだ。

「あしたのジョー」というキーワードから繋がる「ボクシング」「マンガ」といった縁のつながり。

「武術」では「沖縄」「中国」「仏教」「禅」と、いくつもの縁がつながっていく。

自分が「おもしろい」と、すべてを賭けてのめり込んだ好奇心が、そこで、本物の出会いを生み、それが「縁」となっているということだ。

「縁」がいくつも大きな力を生みつづけている。

今、いくつか抱えている大きなプロジェクトも、考えてみればすべて「縁」である。

「縁」が大きな力を生み出すということなのだ。





2010年4月26日

大学で研究室をもらった。

入り口には、「マンガ革命研究所」と看板を設置し、「革命」の象徴としてゲバラのポスターを貼った。

どうも大学が中学や高校と変わらない、「勉強」の場となっていることがつまらない。

「ぼくらの時代は・・・」と口にすれば、「時代が違う」で終わってしまう。

ならば、まずは研究室発信で「革命」だ。

大学は本来、勉強ではなく、研究の場だったはずだ。

研究・・・つまりは新しいことを、実験をやれるのが大学という場だったはずだ。

ましてや美大なのだから、新しい、「この時代だから生まれた」といった作品を生み出す場でなければならないと思っている。

生み出すということは、言われたものを制作するお勉強とは全く違うもののはずだ。

つまりは、自分を生み出していく。

それが今を生きる自分だけが創れる世界を創造し、作品となっていくものだとぼくは思っている。

本来なら今の時代ほど、大学にいて面白い時代はないはずだ。

デジタルによって新しいメディアが生まれ、そのメディアでの表現法を、作家として考えるところから創れる時代が今だということだ。

ワンセグテレビ、PC、ケータイ、ipat他、創造の世界が大きく変わっていく、まさに幕末・・・いや、宇宙に突然創造が広がったぐらいに、限りない創造の空間が目の前に広がっている時代なのだ。

その空間は、新たな創造を自分で生んでいける、だれもやっていないことを、大学だからこそ、大手のソフト開発プロジェクトと組んでやっていけるおもしろさ。

実際、自分のゼミでは大手メディアと組んで新たな表現作品を創りができる環境を創っているし、一部の学生とは自分の仕事にも巻き込んでメディアとともに作品を制作している。

自分自身もデジタルについては、大学にいることでそうとう勉強でき、メディアとも開発レベルで関われることもあり、そうとう知ることができた。

こんな環境だからこそ新しいことができると、普通はそう考えるのだが、実はそうもいかないのが、今の大学のようだ。

生み出すのではなく、お勉強な学校体質によってアナログが一番いいと信じて疑わない負の環境もそこにある。

たとえばひとつ。

アナログでスクリーントーンを貼った原稿の場合、スキャンを2400の解像度でも、二階調のトーンはモアレを起こしたり、飛んでしまうが、デジタルでトーンを貼れば、300できれいに仕上がるということ。

いくら説明しても、「マンガはアナログが一番」と、不思議なすり込みが重く大学の中に居座っている。

まぁ、それ以前に今、紙媒体にしても、印刷もすべてデジタルで創っていることをわかれば、答えはひとつなのだが・・・

そういった体質も含め、また新たな作品を生み出していく上においても、「マンガ革命研究所」を創り、エネルギーを持ってここから暴れてみようと決めたというわけだ。

まぁ、いろいろな意味で大学の中で浮いた存在になりつつあるものの、体質的に「つまらない」ことが耐えられないし、とにかく「おもしろい」ことをやっていきたいということだ。

そう、おもしろいことにだれもがエネルギーのすべてを注ぎ、自由を求め、勝ち取るために情熱を燃やした70年代の「これが大学」を、自分の研究室だけは守っていきたいと思っている。



革命家のチェ・ゲバラの言葉で好きな言葉がある。

もし我々が空想家のようだと言われるならば

救いがたい理想主義者だと言われるならば

できもしないことを考えていると言われるならば

何千回でも答えよう

「そのとおりだ」と。



2010年3月26日

3月が終わろうとしている。
まったくもって濃い3月に入っての日々がつづいている。

少しメモ的に分けて書いてみる。

◎ひとつは不思議な3月だ。

●「美味しんぼ」の原作者、雁屋哲さん(雁屋さんは“先生”と言われるのを嫌がるので“さん”なのだ)とここ数年、会ってないなと、飲み屋で思った瞬間、雁屋さんから電話があり、元世界チャンピオンの浜田剛史さんを呼んで、まるで25年前に帰ったように、美味しいものを食べ飲んだ。

●また別の日に高円寺の行きつけの飲み屋で飲んでいたら、「初めてこの店に来た」と、客が入ってきたのだが、それが何とちばてつや先生の奥さんの弟の、ミュージシャンの海田明裕さんだった。
それがきっかけで、今月に入って2度いっしょに飲んでいる。

●また、やはりここ何年か会ってなかった友人、梅津くんから、大学がある宇都宮から東京へ帰る車へ電話があり、(Bluetoothシステムで、車に乗っているときはスピーカーから相手の声が聞こえるのだ)興奮気味に映画「あしたのジョー」のアクション監督に決まったと、今回の映画のこと、自分にとっての「あしたのジョー」の思いを語ってきたのだが、実は助手席にはちば先生が乗っていて、スピーカーから流れる梅津くんの話を聞いて、ちば先生が突然梅津くんに声をかけたときの、梅津くんの声といったら、まったく愉快このうえない驚きの声だった。

他にもいろいろあるのだが、今年になって何か力が動いているのか、昔からの知人、友人たちが呼び寄せられるように集ってきている。そしてそこからいろいろなことが動き始めているというわけだ。


◎3月の前半は、一年半ぶりに両親の住む高松に里帰りし、十代の半ばに広島から転校して住んだ、丸亀、高松と自分の生きた街の空気の中でゆっくりと、あのころのエネルギーを充電してきた。


◎大学では卒業式があり、卒業していく生徒たちからの寄せ書きには、グッ!とくるものがあった。


◎東京都議会の「青少年の育成条例の改正案 非実在青少年への規制」では、ちば先生とともに、漫画家、精華大学などとも連絡を取り合い、あまりにひどく、曖昧で恐ろしい法案に大反対!

これは「表現の規制」という以上に、石原都知事を始めとする政治家たちの、この法案を通してのどす黒い何かを感じてならない。
これに関しては、まだまだ行動を起こさなければと連絡を取り合っている。


◎3月は大学での制作授業はないのだが、宇都宮市と生徒と進めているマンガ制作が今月末が締め切りとあって、制作の方もギチギチのスケジュールになっている。

それと「ニコニコ動画」と組んでの京都、清水寺からの「紙芝居甲子園」の生中継成功と、ホント、自分でもよく動き回っている。


そんな中、昨日、ちば先生と、ちば先生の奥さんと3人でさいたまの「ジョン・レノンミュージアム」へ行ってきた。

今年、夏で閉館になる「ジョン・レノンミュージアム」のことを、ちば先生に話したところ、ずっと行きたいとちば先生は言っていて、昨日、うまくスケジュールが取れたというわけだ。

雨が降っている平日ということもあり、ほとんど人のいない中、ミュージアムを回ることができた。

ミュージアムにはもうぼくは何度も来ていて、今年に入っても、もう二度目なのだが、今回のちば先生とのレノンミュージアムは特別である。


ぼくにとって、自分の原点。

少年のころ音楽とマンガで、偉大なる影響を受け、夢中になっていたのが、ジョン・レノンと、ちばてつやである。

そのちば先生と、ジョン・レノンに生きてきた道、言葉の旅に出られるミュージアムへ来て、ちば先生とジョン・レノンを語り合うこと自体がありえない出来事だったのだ。


1939年生まれのちば先生と1940年生まれのレノン。

同世代で、時代を創ってきた二人を前に、その影響をモロに受けた世代、1957年生まれの自分が立っている。

ちば先生がポツリと言う。

「あのころ、ラジオからいつも流れていたレノンの曲・・・だけど。ぼくはあまりレノンのことは知らなかったんだ」

そうなのだ。

寝ることさえもままならないほど、マンガを描いていたちば先生と同じ時代、やはり時代を翔ていたレノンと同時期だからこその、ちば先生のつぶやき。

ある意味「戦友」であるレノンを、今、あの時代にどう生き、何を語ってきたのか知ろうとしているちば先生が目の前にいる。

「心を開いて「イエス」って言ってごらん。すべてを肯定してみると、答えが見つかるもんだよ」

ミュージアムのFinal Roomに書かれた、レノンの言葉で一番好きな言葉を、ちば先生と見上げて読んでみた。

「心に染みるね」

ちば先生が微笑み言ってきた。

ぼくにとって一生の中で心に染みる日となった。



◎そうそう、もうひとつ。

高円寺の中古楽器店で、突然惹かれるように目に止まり、弾かせてもらった瞬間に、「これは自分に買われるために待っていたギターだ」と、今月、衝動買いしてしまったギターがある。

EpiphoneのEJ-160Evc

そう、ジョン・レノンモデルのギターだ。

ここでもまた繋がった3月である。




2010年2月22日

昨日ひとつ歳を取った。

歳を取るということはどういうことか・・・

20代のとき思っていた答えが、今も変わっていない。

それは歳の数だけの「縁」だと思っている。

つまりは「出会い」だ。

人間だけじゃない。

自然であったり、本であったり、音楽であったり・・・つまり森羅万象すべての出会いということだ。

その「縁」が、歳を取ることで増えていき、大きな自分の「生き様」となっていく。

だから20代のころから、「歳」を取ることは悪くないと思ってきた。


40代のころから「武術」を知ることで、「仏陀」と「達摩」(武術では達磨の磨は摩と書く)そして「禅」を深く知ろうと旅を続けてきている。

武術というのは、「ゴータマ・シッダッタ(釈迦)」を動かした(出家)「四苦(生・老・病・死)」の悟りを知ることに似ているというか、同じ修行の道だと感じている。

旅の中、自分が老うことで、老いということも出会えている。

死に近づく感覚も感じられる年齢にもなってきた。

それも出会いだと思えてきている。

そうそう、前回の日記で書いた、新車が今月の頭にやってきた。

FORESTER LIMITED

すでに1000`以上走ったが、いい相棒になってくれそうだ。

つまりは、これも出会いであり、FORESTER(相棒)がまたいくつもの、「縁」と「出会い」をつなげてくれることになるということだ。




2010年1月30日

海へゆく。
山へゆく。
夕陽を見にゆく。
朝陽を見にゆく・・・
ふと思い立ったらどこへでもゆく。

子供のころは自転車だった。
高校生のときなど、走り続けているうちに、自転車で四国を一周してしまった。
愛媛から高知へ抜ける宿毛街道で、峠を越えたとき突然目の前に広がった、太平洋の藍色の輝きは今も覚えている。

免許を取ってからはそれが車に変わった。
仕事場から、コンビニに買い物に行くつもりでアクセルを踏んだ車が海に山に、そこから小さな旅になったことは数え切れない。

車はぼくにとって大切な相棒となっている。
CR-X CR-Xsi JAZZと、今まで乗ってきた相棒とのそれぞれの思い出がある。

ここ数年はVehiCrossが相棒だった。
ウルトラセブン1999や、ウルトラマンネオスの科学特捜隊の車として使われた、マンガから出てきたような、少し変わったRV車VehiCross。
一台前のHONDA JAZZほどではないが、めったに出会うことのない限られた台数しか走ってなかった相棒だ。
けっこう気に入ってたもので、気づけば10万`を超えても乗りつづけていた車だった。

これだけ乗っていたわけだから、VehiCrossは気に入っていたものの、今まで乗ってきた車で、トラブルが一番多かった車でもあった。
標高850メートルの高野山でミッションがいかれ、ミッション乗せ替えで50万かかったことをはじめ、この3年で新車が十分に買える金額が出て行ったトラブルばかりの相棒だった。

だがそれだけに「かわいい」ヤツだった。
車のメカにはまったく疎いぼくだが、こいつのせいで、ミッションから、o2センサーまで、ホントいろいろ詳しくなってしまった。

そのVehiCrossを、明日新車がやってくるため、今日メーカーに下取りで渡してきた。

メーカーの駐車場にVehiCrossを置き、帰り際に振り返ると、駐車場の中でも一際目立つ存在を見せている。
生きているような、そんな表情のあるVehiCrossに、「じゃぁな」と心でつぶやいたとき、相棒と走った、この数年のいくつもの思い出が駆けめぐっていった。





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