| | 2011年3月15日
雁屋哲さんの、今日の「美味しんぼ日記」に涙した。
雁屋哲の美味しんぼ日記 http://kariyatetsu.com/nikki/1350.php
雁屋さんの日記にこのような言葉が書かれている。
“私はすでに70歳近い。 日本のお陰で、楽しい日々を送ることができた。 いまこそ、その恩返しのとき。
たとえば、原発工場で、放射線の被曝を恐れて作業員を近づけさせることの出来ない作業があるという。 そこのバブルを閉めれば、かなりの部分が、助かる。 でも、そのバブルに人を近づけさせることはできない。 そういう部分があるという。 そのような、危険な作業を私のような老人に任せて欲しい。
政府とか、企業は、すぐに人道的にどうかななど言い出すかもしれないが、人道も何もあるものか、私のように、充分この人生を楽しんできた人間にとって、最後に、人様に役に立つことができれば、これほどうれしいことはない。どうせ放っておいてもすぐに死ぬんだもの。これほど人道的なことはないだろう。 それも、単に日本のためという狭い料簡ではない。 いったん、原発が破裂すれば、日本だけでなく世界中に影響を及ぼす。 そのためなら、既に充分に人生を楽しんできた老人が最後のご奉仕を、世界中の人間に対して出来れば、これ以上幸いはないではないか。”
全文ではないが、これを読んで涙が止まらなくなった。 雁屋さんとは出会って27年になる。 雁屋さんは、ぼくがちばてつや先生とともに「師」と思っている人だ。 だが、雁屋さんは、先生と呼ぶと本気で怒ってくる。 「友達が先生と呼ぶのか」と、怒ってくるのだ。 つまりはそういう人だ。
ここのところ、少し会っていないのだが、雁屋さんのブログは見ていた。 そして今日の文章。
実はぼくもどこかそのこと、雁屋さんが言っている同じことを思っている。 学生や、高円寺で若い連中といることで、そいつらの盾になりたい思いは間違いなくある。 自分はここまで好きなことをやらせてもらってきたのだから、だから…大丈夫。
今回の地震はあまりに苦しい。苦しすぎる。 そして原発の放射能漏れ。
今のぼくに何ができるのだろうか… 今できることを、ギリギリでがんばっている人たちにできることを考え動いている。 心とお金と、繋げる気持ち。 そういった必要なものをどうちゃんと形にするか。 明日からまた宇都宮へ向かう。 今、進めている宇都宮での大きなイベントをチャリティとしてやることに、今日、小学館プロのK氏と決めた。 どこまでできるかわからないが、とにかくやるしかない。
雁屋さんの今日のブログ、ぼくも覚悟ができました。 |
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| | 2011年3月9日
ひとり机の前で旅を思う。 行きたい場所は無限にある。 “生きたい”場所と書くのが正しいかもしれない。
人はなぜ旅に出るのだろうか? 子供のころからそうだった。 自転車でどこまでも走った。 なぜあのとき自転車で旅に出ようと思ったのだろうか。 電車でも、車でも、歩きでも、いつもその日の気分で南へ向かうか、北け向かうか… 海を越えてもそうだった。 年齢を重ねてもそうだった。
ただ胸がギシギシと苦しいほど締め付けられる思い。 旅にでなければ押しつぶされそうで苦しくてどうしようもないという思い。 昔に書いたノートを開いてみる。 「飢え」という言葉が書いてある。 いつも「飢え」ていたと書いてある。 どうしようもなく、「飢え」を感じ、その飢えが旅になったのかもしれない。
力がなく、どうしようも力がなく、その力を求めた旅だったと、昔の自分のノートには書かれている。 でもそれだけじゃない。 人は知りたいのだと思う。 宇宙を知りたいのだと思う。 死んでもいいから生命を知りたいのだと思う。 その思いが旅になる。 それも「飢え」だ。
二週間前、特別なときに向かう海に立ってみた。 ぼくにとって、もう何年も、何度も立った、出会ったころと変わらない秘密の場所。 海と空が深くつながっている明るい海。
海の蒼さと、空の蒼さ。 どちらも深く、高くなると宇宙の色になる。 その場所へ行けないだろうか。 宇宙へ行けないだろうか。 そこへ生けないだろうか。
リアリティのない机の前で、リアルに触れたくなったのかもしれない |
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| | 2011年3月7日
毎日とてつもなく、ぜぇぜぇと、もう苦しくて、苦しくて、「休みたい」「辞めたい」って思いながら走っている毎日。
それはやりたいことだからだけどね。 もちろんやりたくないこともあるよ。 でも、言えることは「やらされていることではない」ってこと。 「やらされている」ことなら、こんだけ「やること」があるわけだから、間違いなく逃げ出すからね。 でも逃げないということは、事務的なことでも、それは、それをやらなければ「やりたいこと」にたどり着けないというだけのことなんだ。 だから走り続けている。
大学にいてね。 考えてみたら、フリーのときよりも創ってるって、特に昨年の、中国を一ヶ月バックパッカーして帰ってきてから、凄くとにかく創っているよ。 大学っていう場所は、ともすれば作家が「創る」ではなく、「語る」になってしまう場所だと気づいたからなんだ。
ぼくが生きてきて、特に、京都の大学時代かな。 「語る」やつらがいつも周りにいてね。「語った」やつは、音楽だって、マンガだって、演劇だって、結局は創れなかったヤツらなんだ。
「語ること」ではなく、「創ること」をやったヤツだけが、漫画家になり、ミュージシャンになり、役者になり、演出家になり、つまりは創造者になれてるんだよね。 「語った」ヤツはだれも創造者にはなれてない。 これだけは言える。 うん。
「語ること」ってだれにでもできることだからね。 斉藤佑樹のピッチングを見て、「下半身のバランスはいまいちだね」って、だれでも言えることだよ。 でも、斉藤佑樹のようなボールが投げられるのかって、「おまえはそんなにピッチングがわかってるんだったら、斉藤佑樹のような球が投げられるのか」って、語るヤツには投げられないよね。 だって、斉藤佑樹のように、毎日を野球のためだけに生きてないもんな。 そういうことだと思うよ。
学生にね相談を受けたとき、ぼくは「覚悟」の話しをするんだ。 自分に責任を持つ「覚悟」。 自分が生きたい道があるなら、その道の責任は自分にあるということ。 その「覚悟」だけ持って歩みなってね。 嬉しいことも、悲しいことも、全部自分持ちだってこと。 だからね、「語らず」「創れ」ってこと。 そういう生き方の「覚悟」を「持ってるか?」ってことだな。
ただそれだけ、そう、ただそれだけのこと。 |
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| | 2011年2月15日
“さがしものは何ですか〜”
高校2年のとき、井上陽水の歌声が問うてきた。
さがしものはいっぱいあった。 さがしものがあったから小学校から野球部で野球をやっていた。 絵を描いてきた。 マンガを描いてきた。 ギターを弾き、曲を創ってきた。 写真を撮り、自分で現像してきた。
旅に出てきた。
さがしものがあったから、知らない風景の中を翔ていた。 いくつもの海を見に行き、泳ぎ、潜った。 空がこんなにいくつもあるんだと、いろんな土地で、国で空を見上げた。
さがしものがあったから、いろいろな人に会いに行き、出会ってきた。
さがしものがあったから、好きな人とさがしものをいっしょにさがした。
さがしものがあったから創ってきた。 創る力をもらってきた。
“さがしものは何ですか〜まだまださがす気ですか…”
この歳になってもさがしている。
わかってるんだ。 ぼくは死ぬまでさがしつづけるってこと。
自分を… そう、自分をさがしつづけるってことをね。 |
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| | 2011年2月14日
蒼い空を見上げながら今日、自転車を漕いだんだ。 そしたら、「はっぴいえんど」の“風をあつめて”の曲が自然に口から飛び出してきたんだ。 “風をあつめて 風をあつめて 青空を翔たいんです 青空を”
冷たい風を感じながら、声に出して歌って、すごく気持ちよかったよ。
そのとき思ったんだ。 あぁ、ぼくは「風」を、今、風を書こうと、撮ろうとしてるんだってね。 風は見えないけど、空気とか、臭いとか、ほら、目で見るよりもいっぱい感じることを伝えてくれるだろ。
風を感じてシャッターを押すとね、そのとき感じた風が撮れるんだってこと。 それはずっと前からわかっていたし、そうやって撮った写真もたくさんあるのに… すぐに忘れてしまうんだよね。 うまく撮ろうとか、綺麗に撮ろうとか。 すぐに勘違いしてしまうんだよね。 言葉だって同じなんだ。 いい言葉って、綺麗な文章じゃないよね。 伝える言葉。 気持ちを、感じる気持ちを伝える言葉。
あぁ、風だよ。 風をあつめるように、感じるぼくのまわりの宇宙をあつめて、それを撮り、言葉にしていくことが一番大事なこと。
“それで ぼくも 風をあつめて 風をあつめて 青空を翔たいんです 青空を” |
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