| | 2006年12月30日
今年最後の打ち合わせ。
07年、いっしょに組んでいく仕事のパートナーのひとつ、パナソニックサイトの担当と東京ビッグサイトで開かれているコミックマーケットに行って来たんだ。
自分にとってまったく無縁だと思っていた世界だったけど、現在、コミケで活躍する作家さんとも仕事を進めていることもあって、始めて足を踏み入れたわけなんだけどね。
いやいや、圧倒されたよ。 「何だこれは!?」というほどの、初詣の明治神宮よりも凄い、人、人、人。 それを見たら、たしかに今、メジャー誌の編集長などとよく話しをするのだが、「今の漫画の発信基地」というのが納得できた光景だな。 関係者、作家に会い話しを聞いたのだが、あまりにいろいろありすぎてぼくの頭がついていかない。 う〜ん、これは少しぼく自身がこの世界について教えてもらわなければならねぇだろうな。その上でどう関わっていくか・・・来年への課題ってことで。
さぁ、これで今年のスケジュールは終わりと、スケジュール表を閉じたのだけど・・・
おいおい、年賀状はまだ作ってないし、アトリエの掃除、車の洗車、その上、来年正月明けの原稿は1行も書いてないし、いくつもの企画書、契約書とやらなければならないことが山ほどあるじゃねえかよ。 なのに、先日、どうしてもやりたい、いや、やらなければならないと、突然、何かが舞い降りてきたように、とてつもなく大きな“ぜったいに創らなければならない本”の企画が沸き起こってきちまって、いてもたっても居られなく友人の編集長にメール。 さっそく年明けから打ち合わせってことになっちまったというか、してしまったよ。 自分の来年のスケジュールのことを考えたら、少し無謀かもしれないけど、でもね、やりたいことと、やらなければならないことがいっぱいの07年は少し楽しみなんだ。
まぁ、この正月も1日からきっと机の前だろうけど、それをどこか嬉しがってるってことは、それはそれでしあわせってことで。
07年もよろしくです! |
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| | 2006年12月24日
昔、島田伸助がTVで、人生でよかったと思えるのは、どれだけの人に出会ったかっていうことだと思うって言ってたんだ。 ぼくもそう思うよ。 育ててくれた人、守ってくれた人、憧れた人、尊敬した人、好きになった人、愛した人、恋した人、感動した人・・・ 数え切れないたくさんの人と出会い、別れていくのが人生なんだってね。
井伏鱒二の「花に嵐のたとえもあるさ、サヨナラだけが人生さ」って、ぼくも大好きな有名な詩の言葉があるけど、これってそういうことなんだってぼくは理解しているんだけどね。
この歳で、20年来の友人たちで集まってのバンド、「だらぁ〜ず」は、ホント大事なバンドになってきているんだ。 みんな忙しくってなかなか集まれないし、ライブもなかなかできないけど、でもみんな「だらぁ〜ず」なんだよね。 漫画家、演出家、劇作家、劇画作家、編集なんてやってるけど、いつも「だらぁ〜ず」なんだ。 有名なバンドだったらわかるけど、確実にバンド名より、個人、個人の名の方が知られているんだけど、でもね、ぼくらは「だらぁ〜ず」なんだって・・・誇りとは違う、すごく大事な、特別の存在場所ってことなんだろうな。 何かそれが嬉しくってね。 そいでもって、その「だらぁ〜ず」でも、新しい出会いもいくつもあるってことさ。
22日は、ドラムのキョーコちゃんが加わっての練習。 そして、いつものように練習後の高円寺飲み屋の梯子。
その飲み歩きの店のひとつ、来年早々には、「だらぁ〜ず」のソロ活動(?)で、今回の写真の彦六で、ウクレレのばちちゃんとライブやります。 ほぼ日にちも決定しているので、詳しいことは来年早々にも発表しやす。
それにしても、年末も自分の原稿、来年に向けてのいくつもの仕事で打ち合わせが30日までビッチリだもんな・・・ でもね、今年がんばったことが、ここにきてワクワクする形で動きだしてるわけで、まるでジェットコースターだった06年だったけど、もっと凄いことになるかも07年。
そして「だらぁ〜ず」は、07年も楽しみまっせ!
おっと、今日はクリスマスイブ、そろそろアトリエを出て、おいしいものでも食べにいきますかい。 |
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| | 2006年12月20日
2006年が終わろうとしているよね。 長かったような、短かったような・・・ ドイツW杯なんて遠い昔のように思えてくるもんな。
ぼくも、まったく新しい、まだだれも形として手をつけてない、ケータイで見せるための漫画、“クリコミ”に、他の仕事、連載までもストップして、すべての時間で取り組んでいった年だったんだよね。
うん、25年前、ミュージシャンを辞めて、まったく新しい世界へ飛び込んでいった、「僕の歩く道」で、2度目の大きな分岐点に立った年でもあったわけだ。 試行錯誤、いろいろあり、問題もいくつも沸き上がってきた年だったけど、いくつかの大きな問題は、新たな出会いによって来年の頭にはどうにか解決できることで、ホッ!としているんだ。 そして、今年の夏からの“クリコミ”の小さな動きが、どんどんいろいろな大きな世界のひとたちが集まってくることで、まだ書くことはできないけど、実は凄く面白いことになってきているんだよね。 来年早々にも、書けるようになったら、すでに取材依頼をうけている雑誌、新聞などの記事になる前にここで書いちゃう・・・かも。
そんな2006年の終わり、「僕の歩く道」で、その人がいなければ、今の自分はいなかった、まさにアイディンティティを創ってくれた二人の、今年最後の場にぼくは立っていることができたんだよね。
一人は井上陽水の、今年のすべてのライブの最後を飾る、18日のNHKホールでのライブ。
考えてみれば、今年の7月にも国際フォーラムへ聞きにいったわけだから、1年に2度も陽水の生の声を聞けたしあわせな年でもあったわけだな。
陽水は15才のとき、ラジオから流れてきた“傘がない”を聞いて、ぼくは沸き上がる感動と興奮に震え、当時2000円という、子供にとってとてつもない大金にもかかわらず、貯金をはたいてアルバムを買い、本当にレコードがすり切れるまで聞くところから始まった出会いだったんだ。 そしてギターを買い、始めて買ったソングブックが陽水でね、maj7や、dimといったコードは陽水の曲から覚え、家の玄関や風呂場といった、エコーのかかる場所で歌い始めたのが曲を創りはじめる始まりで、それがつまりは音楽をやる道へとつながったってことなんだ。
今回の陽水のライブは、ぼくが15才のとき始めて買ったアルバムの1曲目、“断絶”から始まって、最後の24曲目、“傘がない”まで、何か自分の歩んできた道を思い出しながら、いっしょに口ずさんでしまったよ。
そしてもうひとつ。 昨日は、栃木の文星芸術大学へ行って、ちばてつや先生の今年最後の授業時間をもらって、今ぼくのやっている、ケータイで見せる漫画、“クリコミ”というもの、作り方などを、いっしょにやっているPCディレクターの高橋さんとやらせてもらったんだ。
ちばてつや先生とは、知り合って20年以上になるのだけど、最近本当にたくさん会って話しをさせてもらっているんだよね。 漫画について、そしてその漫画の今からの表現方法、新しい漫画の道と可能性。 ぼくのやっていることも先生は応援してくれていて、そのことを新しい漫画家を目指す生徒に教えてほしいって、それでまずは昨日というか、今年最後の先生の授業でやらせてもらったってわけなんだ。
いい漫画を創りたい、創れる作家を育てたい。 漫画ってこんなにすばらしいもんなんだって、そして新しい才能が漫画の可能性を無限にしていく・・・
たまらんですよ。 そんな気持ちがヒシヒシと伝わってくるちば先生といっしょに居られることがたまらんですよ。
授業が終わって、ちば先生とキャッチボールをしたんだ。 ぼくの投げるボールを受け止め、またぼくにボールを投げ返してくる・・・ ぼくは間違いなく、子供の頃からちばてつや作品にいつも夢中になって読むことで育てられ、生きてきたんだよね。 先生の漫画を読んでなかったら、漫画家を目指すこともなかったし、だから今のように物書きにはなっていなかったというか、いくつものスポーツを描こうなんて、特にボクシングにはここまで関わらなかったわけだから、今のぼくの存在なんてなかったってことだもんな。 そんなちば先生と今、キャッチボールができている。
「またキャッチボールをやろう」 ちば先生とキャッチボールを終えて笑いながら言ってきたんだ。
いろいろあったけど、2006年の最後に、ぼくの生きてきた道のアイディンティティ、“井上陽水”と“ちばてつや先生”が目の前に居てくれた。
がんばんなくっちゃ、「僕の歩く道」。 |
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| | 2006年12月9日
12月8日。 ジョン・レノンの26回目の命日だったこの日に、ぼくたち“だらぁ〜ず”4人はスタジオに集まり練習した。
今回のスタジオは、高円寺の“アフタービート”。 あのみうらじゅん原作の映画で、ぼくもたまらんほど好きな高円寺を舞台とした“アイディン&ティティ”の舞台となっているスタジオだもんね。
3時間、いつものようにオリジナルの曲を組み立てながらの練習。 そして、いつものように最高に楽しい時間。 で、終わってから、“アイディン&ティティ”の映画の中のバンドと同じ流れで、焼き鳥屋で腹ごしらえ。 そしていつものように、高円寺南口の「ターンテーブル」だ。
店に入ったとたん流れてきたのが、ビートルズの36年の時を経てのニューアルバム「LOVE」。
とにかく、あのジョージ・マーティンとその息子がビートルズの曲で、こんなスゲェことやっちまったのかよって、とにかく最近一番のお気に入りのアルバムだ。
そして、レノン。 音楽ってやつは凄い力だよね。 レノンの曲を聞きながら、少年時代からの自分が蘇ってくるんだもんな。 友人と夢中になって聞き、詩の意味まで語り合うことで思い切り影響をうけていった日々。
付き合った彼女の中に、凄くレノンの好きな娘がいて、スタンディング・オーバーを聞くたびに彼女のことを思い出しちまう小さな寂寞。 そしてぼくの大好きな、ビューティフル・ボーイに纏わる、ぼくだけの秘密の思い出。
レノンの曲の中には、ぼくの歴史が間違いなくあるってことだ。
いや、レノンだけじゃないな。 ぼくの聞いてきた、創ってきたすべての音楽というものの中にあるってことなんだ。 “だらぁ〜ず”のメンバーの、治ちゃん、マキノくん、アラキさんと、歳も近いことがあって、そんな音楽で創られた歴史での共通がいっぱいあってね。 だからね、もうみんなとは20年の友なんだけど、音楽という力で、出会う前も、それぞれ違う、横須賀、浜松、豊橋、広島で生きながら、同じ音楽を聴いていたというだけで繋がっていくんだもんね。
もちろん、レノンでもみんな繋がっていて、この日も朝の4時まで飲み明かしたよ。 そんな中、マキノくんの芝居関係で、“だらぁ〜ず”のドラマー候補のキョーコさんも呼んで、次ぎの練習にはキョーコさんをドラムで来て貰うということで解散。
ん!また新たな音楽のつながりがひとつ、次ぎの“だらぁ〜ず”の集まりも楽しみってことだ。 |
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| | 2006年12月3日
ジョン・レノンが流れている。
土曜日、バンド“だらぁ〜ず”のメンバーで友人の、マキノくんの主催する劇団、M.O.P.の芝居を紀伊国屋ホールへ見に行ってきたんだ。 「ズビズビ。」 いつものことなのだが、いやいや面白かった。 見ながら、「あぁ、プロの芝居だな」って感じてたんだ。 情熱だけじゃない、巧さだけじゃない、こだわりだけじゃない。 そこにエンターティーメントがしっかり加わっているんだよね。
20年以上、そう、もう20年以上前からマキノくんの芝居は見てきたもんで、何かM.O.P.が自分の生きていく中でしっかり歴史を刻んでいるんだよな。
もちろん“だらぁ〜ず”のメンバー、治ちゃん、バンマスと見に行っているわけで、考えてみれば“だらぁ〜ず”は全員20年以上の大親友なわけだ。 長い歴史があるから、芝居ひとつ見に行っても話すことがいっぱいあるんだよね。 20年前からのM.O.P.の芝居も知ってるもんで、その歴史の話しができる・・・そんな話しができる友人がいるということに、歳を取ることがそんなに悪くないと思えちまうもんな。
今年はね、みんな忙しくってバンドでなかなか集まれなかったけど、来週の金曜日、“だらぁ〜ず”は全員高円寺に集まって、スタジオ練習が決定! 金曜日って、つまりは12月8日。 26回目のジョン・レノンの命日なんだね。
HPの「ミュージシャンだったような思い出」の中に書いてるんだけど、ぼくはジョンの死んだ日に、大阪の店で唄っていた食うための音楽のバイトを辞め、「あのねのね」や「河島英五」ともに所属していた音楽事務所を辞めて東京へ出ると決めた日でもあるんだよな。 あれから26年か・・・
今日はアトリエのスピーカーからジョン・レノンがずっと流れているよ。
"WHEN THE NIGHT HAS COME AND THE LAND IS DARK AND THE MOON IS THE ONLY LIGHT WE`LL SEE NO I WON`T BE AFRAID,NO I WON`T BE AFRAID JUST AS LONG AS YOU STAND,STAND BY ME SO,DARLING, DARLING STAND BY ME OH,STAND BY ME,OH,STAND,STAND BY ME
いつもいつも僕の傍にいておくれ 夜が垂れ込めあたりが暗くなって 月の光だけが輝いていても 僕はちっとも怖くなんか無いよ *君がそばに寄り添ってくれるだけで 強くなれるんだ だからダーリン いつもいつも僕の傍にいておくれ |
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