思い立ったら日記 2009



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2009年12月29日

2009年も終わろうとしている。

ふと、旅を思う。
子供のころから、知らない地へ行くことが大好きだった。
どこへでもブラリと旅に出てしまう。
自転車で日本中を走り、海の向こうへも何度も旅に出ていった。

音楽、マンガ、写真、言葉・・・
知らない世界へ足を踏み入れるのも旅だった。
それはいつもひとり旅の、あのドキドキ感の記憶。

旅はいろいろなことを教えてくれる。
生きるということ。
そして「死に対して安心するな」ということ。
死は老若の区別などつけない、だから今を生きるということ。

生きるということは出会うということでもある。
人と出会う。
海と出会う。
山と出会う。
音楽と出会う。
アートと出会う。
文字と出会う。
革命と出会う。
アイデアと出会う。
まだ見ぬ何かと出会う・・・

あぁ、2009年は数知れぬ出会いがいくつもあった旅だった。
時代が動くとき、出会いが時代を動かしていく。
日本中に坂本龍馬が生まれようとしている変革の2010年。
その助走が2009年だったのではないのかと感じている。

何かが動くとき、その何かのまわりには、同じ臭いを持った仲間が集まり、時代を動かせる力が生まれる。
革命。

まさに今年、仲間が次々と集まり、出会いの一年だったと振り返る。
すでにいくつか動きだし、形になってきている。
実はこの正月も、休み無く創らなければならないものがある。
それは仲間たちも同じだ。
目的を持った旅は休むことはない。

この一年、悪い旅ではなかったと思う。
そしてその重みも感じている。
生きている「旅の重さ」だ。



2009年10月25日

仕事場の窓の外から今、一匹のネコがのぞいている。

昔の日記に書いたと思うのだが、子供が生まれたらいつも、子供を引き連れてやってきていたネコだ。

ぼくが知っているかぎり、2度の出産で、6匹の子供を産んでいる。

このネコが最初に顔を見せたのが、たしか7年前だから、もう7歳以上だということだ。

このネコ、一年以上前に、ネコ同士のケンカだと思うのだが、右の前足を無くしてしまった。
のらネコが足を一本なくすということは、それは死を意味することだと思う。

だが、そのネコは必死になって生きている。
行動範囲は狭いようで、道路を3本足で必死になって走っている姿を何度も見た。
この一年でそうとう痩せたのだが、それでもちゃんと生きている。

どうやってエサを手に入れ生きているのかはわからないが、こうやってたまに好奇の目をして仕事場をのぞき込んでいる。
かといって、人間に媚びることはない。
かわいそうに思い、手を差し出すと必ず攻撃してくる、まったく人間になついていない、まぁ、言ってみれば憎たらしいのらネコだ。

だが、この人間に媚びないで、たまに仕事場に顔を見せにやってくるその顔は、「生きてるぜ!」と、それだけを伝えに来ているようだ。

「生きるってさぁ、大変なんだぜ」と、ネコはそう教えてくれているような気がしている。
“生きることって、今日、ちゃんと生きている姿がそこにあること”
ただそれだけのこと、そしてその生きることの凄さ・・・

ぼくが愛おしい思いでネコに近づくと、今日もいつものようにネコは素早くどこかへ行ってしまった。





2009年9月20日

アトリエの庭でスズムシが鳴いている。
今年はいろいろなことを思う夏だった。

創作をしていく上での世の中が、とてつもないスピードで動いている。
どうやらその最前線の人たちとどうやらぼくは関わっているようで、毎週のようにいろいろな人を紹介され、けっこう大きなイベント、そして会議に呼ばれたりもした夏だった。

この夏だけで、ぼくがプロとして創作をはじめた70年代、80年代での動きに比べ、大げさではなく100倍ぐらいのスピードで、ものを創るというぼくたちの環境が変わっていっている。

ぼく自身もそんな中で新しい創作を、寝る時間を削って創っていっている。
昔、高橋留美子先生と話しているとき、「作品を描くということは、息をするようなものなんですよ」と、そう言ってきた言葉を思い出した。
留美子先生の100分の1ほどだが、ぼくも創作していないと生きていけない人間のようだ。

寝る時間を削っているなんて、かっこよく言ってはいるが、今、抱えている作品はすべて大きく締め切りが遅れている状況でもあるわけで・・・つまりは締め切りに追われてということでもあるわけだ。

それにしても、作品制作、大学関係、いろいろ進んでいる企画他と、あまりのやることの多さに、忘れないように机の前に、「やらねばならぬこと」を、紙に書き貼り付けているような毎日。

そんな状況でも、昨夜、高円寺で、やはり高円寺で出会った仲間たちと打ち合わせのため、アトリエを抜け出して飲みにいっていた。

昨年、高円寺で飲んでいるときに、作家、ディレクター、映像カメラマン、ミュージシャン、女優・・・あらゆるプロとしての若い、そして面白い仲間たちがまわりにいることから、仲間だけでムービーを創ろうと、酒の席で熱くなり、盛り上がり、つま
りはマジで動き始めたというわけだ。
ある意味、仕事以上にそれは大事な創作なのかもしれない。

高円寺、阿佐ヶ谷の仲間たちの若いエネルギーは、間違いなく自分の生きているエネルギーとなっている。
高円寺、阿佐ヶ谷で飲む酒は、ホント、エネルギーのガソリンスタンドだ。

そうそう、エネルギーの話だが、先日、足利市美術館で、宇野亜喜良、横尾忠則、赤瀬川源平、木村恒久、つげ義春、中村宏、粟津潔、タイガー立石の作品が展示されている、「氾濫するイメージ」と題された美術展に行って来た。
どの作家の作品も、ぼくが小学生から大学にかけて、夢中になり影響を受けた作家ばかりの作品が600点以上も展示されている。
(そうだ、ぼくの中のその中心には寺山修司がいた)

あの時代、(寺山修司)、赤瀬川源平、つげ義春、横尾忠則、宇野亜喜良、木村恒久、中村宏、粟津潔の作品の何に対して、あんなにぼくは興奮し、夢中になっていたのか・・・

あぁ・・・と、ぼくはそれぞれの作品の前に立ったとき、あの時代のエネルギーがふつふつと戻ってきたのだ。

枠に収まらない世界観・・・形に捕らわれない世界観。
もともと創作というのは、それを「個」が産み出し、それを世にぶつけるもの、それが作家だったはずだと、十代の自由だった感性が、今回の作品を前に体の中から叫び声を上げてきたのだ。
「組織」の中の「個」なんてマニュアルをぶっ壊し、その先に自由があると信じていたあの時代の生き方こそが、自由だったと・・・そう感じている。

創りたい・・・
「個」であるものを創りたい。
そんなことばかり考えていたあの時代のように今を生きたい。

新しい形の創作のひとつが、今月の頭に完成した。
マンガ・フォトグラファー・イラストレーター・作家としての自分の中の虫たちがコラボしての作品。
「Photo Art Comic」とぼくは題して、女優のなっちゃんとコラボしての「FlatSex」という作品を創った。
下の、小学館・集英社プロダクションの「ドリームトライブ」「田中誠一.作品集」の中から見ることができるので、ぜひ!
どんどん変化してきている、今、創作中のPhoto Art Comicも完成したら配信します。
無料です。

http://www.dreamtribe.jp/contents/tanakaseiichi.asp  田中誠一.作品集





2009年8月19日

海に来ている。

西伊豆の透き通った、もう十数年前から潜りに来ている秘密の海だ。
終わりのない原稿を仕事場に残し、夏の海に向かってひとり車を走らせやってきた。

海が自分にとってどれほど必要なものか・・・年齢を重ねるとわかってくることがある。
自然の、中でも海のエネルギーが自分にどれほど必要かわかってきた。
全身を海に包まれ、海の中で感じる喜びというものを、そう、野生のイルカから教わったことだった。

海の中へ素潜りで潜るということで、自分は自然の存在だと快感を感じる瞬間がある。
それは生命の喜びというものかもしれない。

秘密の海は、残暑の柔らかい太陽が眩しく輝いていた。
だれもいないひとりだけの秘密の海。
まるで地球という生命と会話をしているような、そんな気持ちで海の中へ入っていく。

ハコフグを追いかける。
ウツボが突然飛び出してくる。
カサゴ、クマノミ、ウメイロ、カンパチ・・・
名前はわからないが、南の島で見た色とりどりの魚、カニにも出会った。
青い、ただ青い・・・すべてが青に包まれた清冽の世界の中に身を置く。

眩しい陽射しが海の中まで差し込んでくる。
たった5メートルほどの海の底からなのに、海の中から見上げる太陽の美しさは、それはもう、この世のものとは思えない幻想的な煌めきを放っている。

まるで天に昇るように、その海の底から見える太陽に向かってぼくは静かに浮かんでいく。

水面に顔を出したとき、今度は夏を思い切り感じる。
夏の太陽、夏の海の匂い、そして日本の夏の空気。
子供の頃からつづく、夏休みの感覚がそこにある。

東京では考えられないゆっくりとした時間がある。

さぁ、またがんばれるエネルギーをこの海から今年ももらえたな。





2009年7月27日


忙しい夏だ。

原稿、大学、イベント、会議、打ち合わせ、取材・・・見事なほど7月、8月とスケジュールがびっしりだ。

一時期、3時間睡眠がつづいたが、ここのところ5時間は睡眠時間が取れるようになった。

といいつつ、時間が空けば、躰を休めればいいのだが、あいかわらず高円寺、阿佐ヶ谷で飲んでいる。


つまりはエネルギー補給というわけだ。

人と出会うということが、大きなエネルギーになることが十分にわかっている。

だから人に会う。


昨日もとてつもなく大きなエネルギーをもらってきた。

【ワンダーフェスティバル2009 夏】で、海洋堂の宮脇館長に久々に会い、もうそのエネルギーをバンバン感じてきたというわけだ。

「タナカさん、ワシもブログ始めたで」

いきなり館長から言われたブログが下のHPで読めるから見てほしい。

  http://www.kisotengai.jp/profile.php 奇想天外


80歳である。

とにかくやると決めたらどんどん前に進んでいく80歳である。

2年前、牧野圭一先生に館長を紹介され、四万十川の自然の町つくりの計画を聞いたのだが、それがこの2年間でどんどんと進んでいる。

そのエネルギーの凄さ、それを昨日も十分に感じさせてもらってきたというわけだ。

本当にスゴイ人だ。


また、【ワンダーフェスティバル2009 夏】を見て、フィギュアの世界もどんどんと進化していると感じた。


フィスティバルの中で行われた、「カッパ造形大賞」の授賞式に、審査委員のちばてつや先生の代理で参加させてもらったのだが、作品を見て、これはもうアートである。

フィギュアはもう、間違いなくアートの領域にまで広がっていることを確信した一日でもあったというわけだ。


そうそう、この7月、もうひとつ、ぼくにとってたまらん出会いがあった。

ちば先生同様、自分が生きてきた道でいくつもの感動と影響をうけた先生との出会い。

脚本家で作家の鎌田敏夫先生と、この冬に向けての仕事の関係で出会うことができたのだ。


「でっかい青春」「飛び出せ!青春」といった「青春」シリーズから、「俺たちの勲章」「俺たちの旅」といった「俺たち」シリーズ。

「おれは男だ」「太陽にほえろ」や「金曜日の妻たち」「男女7人夏物語り」「29歳のクリスマス」「ニューヨーク恋物語」、映画でも「戦国自衛隊」「探偵物語」・・・いや、とても数え切れない、つまりは自分の年齢とともに、夢中になって見ていたTVドラマ、映画のホンを書いた先生と出会える不思議さ。

自分が生きてきて、影響を受けた作品を創った人と出会える幸せ。


18歳の「俺たちの旅」を下宿の白黒TVで見ていたあのころの気持ちに帰り、その創った先生が目の前にいて話しているということに、ドキドキしてしまった。

それにしても、鎌田先生は会ったら大好きになってしまうエネルギーを持っているし、いやいや、ほんとうに飾らないかっこよさは、今からの自分の目標だな。


これも大きなエネルギー。


夏に出会った忘れられないいくつもの思い出とエネルギー。

さぁ、今年の夏はこれからどんな出会いが待っているか、この歳になっても「俺たちの旅」はつづいてるってことか。





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