思い立ったら日記 2007



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2007年12月27日

19日で大学は冬休みに入ったのだが、とにかく毎日スケジュールがビッシリなんだ。
いや、打ち合わせや約束事を冬休みに入ってからと言ってきたため、まぁ、しょうがないと言えばしょうがないんだけどね。

その合間に、プロとしての配信を決めた文星芸大、精華大学の生徒の作品をデジタル加工する作業と、もう、夜、昼関係なく、時間が空いたら机の前というこの年末。

それにしても、作品を加工しながら生徒からいい作家が育ったとニンマリなんだ。
そうそう、紙媒体でも文星芸大のKくんに、スポーツ月刊誌ででの連載マンガを先週決めることができてね。
Kくんはボクのゼミで一番がんばってくれたもんで、実力も付いてきたしで、ぜったいにデビューさせてあげたくていろいろ動いたんだ。
Kくん、来年は連載作家なんだからがんばろうな!

うん、この一年、大学からも10人以上のプロとしてのデビューを決めることができて、ハッキリ言って文星芸大も精華大学も思ってた以上にレベルが高かったてことなんだけど、嬉しい(誤算?)だったよ。

とにかくケータイ配信のコミックを中心とした、デジタルでのコミック創作は、まったくの砂漠で、作家、ディレクターともに人がいない状況の中、文星芸大のちば先生、精華大学の牧野先生のおかげで、「いっしょに創っていく」という大学という場をもらい、成功といっていい成果は上げることができたもんな。
そして、いっしょにやってきた相棒のT氏にも感謝!です。
そう、もう今年は感謝!感謝!の一年だよね。

それにとにかくいろいろな人と出会えた一年でもあったんだ。
海洋堂の宮脇館長をはじめとして、とてつもなく凄い人たちとの出会いがいっぱいあって、その出会いの数だけ夢の数も増えた一年でもあったもんな。
この10年以上考え、動いてきた自然の中で生きるという、武術と禅の大きなぼくの中のテーマもハッキリ方向が見えてきた一年でもあったし、とにかく夢が現実に近づいたいくつもの出会いのあった07年。

そうだった。
いつも区切りの年齢で大きな変化が起こるんだよね。
20歳のときはミュージシャンとして、河島英五さんと全国ツアーを回り、30歳のときは追い続けたボクサーが世界チャンピオンになり、追い続けたチームが甲子園で優勝し、自分の作家としての大きな作品が書けた年齢でもあるんだ。
そして40歳のときは武術と出会い、その武術を通じて沖縄から始まり、中国の歴史に足を踏み入れ、日本と中国の武術のパイプとして関わった年齢でもあったな。
それから10年、またしても大きな変化のあった50歳だったよね。

がんばれたよね。
いろいろな出会いとともに、ぼくの回りでもこの07年、会社を辞めるなど大きな勝負に出た友人も何人かいて、その姿に負けちゃおれないって、がんばれたんだよね。

さぁ、まもなく08年。
今年はあまりに自分の作品が描けなかったもんで、来年は描くと決めてるんだ。
以前から頼まれている連載もやろうと思っているし、クリコミも最低6本は創るからね。 

自分が描きたい作品を描く場として創った場なんだから、自分が描かないでどうするってことだぜ。

そうそう、音楽も、友人が1月から阿佐ヶ谷でライブハウスを始めるなど、ライブをやらせてもらえる場が増えてきているもんで、ライブだってがんばっちゃうもんね。
ライブもみんなからいつも「やらないか」って声かけてくれていて、ホントありがとね。 

来年は出来る限りがんばりますです。(だらぁ〜ずとしてのライブもできればやりたいのだが・・・みんな忙しすぎるもんな)

てな、きっと今年最後の日記を書いているのだが・・・
仕事場を見渡せばひどい状態で、きっと掃除に一日はかかるだろうし、年賀状だってまだ作ってないし・・・スケジュールを見れば、31日まで約束つまってるじゃん。

あぁ今年も、大掃除と年賀状つくりで年越しかい。



2007年11月24日

随喜の時間。

今、週の何日かをちばてつや先生と過ごせている。
今日もちばプロで、先生と6時間近く来年に向けての大学の話をして帰ってきたところなんだ。

そしてちば先生は週に何度か、文星芸大への行きと帰りをぼくの車に乗って通っている。 

片道2時間ほどの、ぼくにとってのまさに随喜の時間。

すでにいくつかのエッセイ、自分の単行本の前書きなどで書いてきたことなのだが、ぼくは子供のころからのちばてつや作品の大ファンである。
「1・2・3と4・5・ロク」「ちかいの魔球」「紫電改のタカ」「ハリスの旋風」「あしたのジョー」「おれは鉄兵」「のたり松太郎」・・・
とくに「あしたのジョー」は、ぼくのアイディンティティで、ボクシングをここまで、マンガ、ノンフィクション、エッセイで書いてきたのはまちがいなく「あしたのジョー」を読んだことから始まっている。

つまりはぼくにとって、ちばてつや先生は神様なんだ。

そんな神様が、22年前、当時新宿に住んでいたぼくの家へ突然やってきた。
経緯(いきさつ)を書いていたら、長い話になるので省くが、無名の物書きだったぼくの家へ神様がやってきたことから、神様と知り合うことができての22年が過ぎてきたというわけである。

いっしょに野球をやり、おいしいものを食べに行き、家族で旅行へも行ったりもした。 

ほんの少しだが仕事の手伝いもさせてもらった。

そして今年の春から、ぼくがケータイコミックの「クリコミ」において、育てなければならないという壁にぶち当たっていたところで、先生に「大学で教え、育てればいい」と誘われ、文星芸大通いが始まったというわけである。

話は最初に戻るのだが、大学へ通い始めたことでちばてつや先生との随喜の時間、とくに車の中での会話は、ぼくにとってはたまらんほどの時間を過ごさせてもらっている。

大学の話。
音楽の話。
野球、ボクシングの話。
そしてマンガの話。

ぼくが子供のころに夢中になって読んできた数々のちば作品の裏話、その作品はどうやって生まれてきたかなど、涙がでるほど随喜な話が飛び出してくる。

たとえば、最初の原稿料が1万2千351円 という半端な値段で、その金額は当時の大学卒の初任給ほどで、「凄い!」と思い気や、描くのに3ヶ月かかったとか、「紫電改のタカ」の、戦闘場面を入れたがる編集と、人間を描きたかった先生との作家と編集の闘い。
ぼくの大好きだった短編「魚屋チャンピオン」は、先生と同年の最年少で東洋ライト級チャンピオンになった、沢田二郎がモデルだったなど・・・

お宝である。
子供の頃から夢中になってきたちば作品の生まれてきた秘話を、直接先生から聞けているなど、こんな随喜な時間はないもんな。

そいでもって、来年に向けて先生とおもしろいこと考えているんだ。
大学での授業のこと。
大学と宇都宮の街のこと。
「クリコミ」のこと。
バンドのこと。
大学での部活のこと・・・他にもいっぱい話してるんだ。

来年は今年よりもあらゆる面で、とくに大学、「クリコミ」を中心に忙しくなる予感の日々なんだけど、実はそれだけ随喜の日々が膨らんでいくってことなんだよね。


(写真は35年前に買った、もう表紙も取れるほど読んできたバイブルです)



2007年11月18日
(打ち合わせ先、コミティア会場ビッグサイトにて)

「いいですね」
相棒のTが言う。
「いいね」
ぼくが答える。

ぼくらが創ってきている、ケータイで配信しているコミック、“クリコミ”が売れてきている。
ダウンロードされた数字に、ぼくらは自然に口元に微笑が浮かんでの言葉のやりとりだ。 


2年前、ぼくらはコミックをケータイで見せるのなら、ケータイで見せるためのコミックを創るべきだと、友人の漫画家たちとともに創りはじめた。
“クリコミ”の始まりだ。
だが、まわりからは、「そんなものを創ったって採算があうわけがない」と嘲弄された。 


数ヶ月で会社は潰れ、それ見たことかと嘲笑され、どん底を見てきた。

でも信じていた。
創り手としてそれだけ魅力ある創造の場での創作。
「いいものを創りつづければ、必ず認めてもらえるはず」
創りつづけることで“クリコミ”は、どんどんとだれも見たことのない新しい創造として変貌していく。

その答えが力として表れてきた。
パナソニックが力になってくれた。
白夜書房、フジTV、TBS・・・
信じられない大きな力が加わっていく。

だが次ぎに大きな壁にぶち当たる。
仕事の依頼が来ても、“クリコミ”を創れる人材がぼくたちしかいない。
育てなければならない。

精華大学の牧野先生、そして宇都宮文星芸大で教授をやっているちばてつや先生が大きな力になってくれた。
「大学で教え育てればいいじゃないか」

ひとつひとつ大きな力が加わってくる。
今年4月からはどれだけの大きな力と出会ってきただろうか。

そして“クリコミ”は、雑誌で描くよりも大きな原稿料を手にする力を得るまでになってきた。
いいものを創れば、それだけの報酬の得られる場になってきたということだ。

人たちが集まってきた。
そして大学でもどんどん新しい人材が育ってきている。

「一年前がうそのようですね」
Tが言う。

だが、まだまだ“クリコミ”の存在は知られていない。
これからだということだ。

気がつけば無限に広がる青い空が目の前にあった。

ぼくたちの第二章・・・
どこまで飛んでいけるか。

ぼくはもう一度空を見上げた。



2007年11月10日

今日はひさしぶりに一日仕事場にいた。
ひさしぶりに、だれとも会わない一日。
ひさしぶりに、自分の机の前に座っての一日。

ケータイコミック作品の新作のプロットとシナリオ。
そしてキャラクターのイメージ画をいくつか描いてみた。

自由な時間。
創作という自由な時間。
ケータイで見せるための新しい表現法が浮かんでいる。
それを形にする始まりの時間。

この感覚・・・
もう何十年前の大学時代の感覚。
創作に自由だったあのキャンパスの感覚だ。

すべてが自由に思えたキャンパスの時間。
京都精華大学では、4回生の授業をもっている。
みんな夢を目指してがんばってきたが、まだ夢が叶ってない生徒が大半だ。

就職の決まった生徒が報告にくる。
大学を卒業することが、夢の終焉のように感じている生徒も何人かいる。
生きるために夢の終焉を告げにくる生徒がいる。

でもね。
卒業することが夢の終焉なんかじゃないんだ。
夢を追うことだってね、生きることなんだ。

自由のキャンパスはね、創作をつづけるかぎり目の前に必ずある。

まだ何者でもなく、夢を追うだけのあの日の風景・・・
十代のころ、なぜか入り浸っていた京都のD大学の映画研究会の部室と、マンガ研究会の部室と、高校時代の野球部の部室浮かんできた。
薄汚れたそれぞれの部室は、酒とタバコの匂いの染みついた部屋であったり、ムッ!とする泥まみれの汗の染みこんだ部室であったりしていた。

小さな窓から眩しい陽が差し込んでいた。
だれもがもがき、夢を追っていた部室の風景。

そんな風景の中、がんばったヤツが夢を叶えた。

雨の一日・・・
甘酸っぱい恋と青春とSEXの話なんて書きながら、少しセンチメンタル。


PS
カープの新井は阪神に行きそうだね。
カープの4番はみんな阪神へ行ってしまう淋しさ。
黄色のチームは、赤の中心選手を取ってばかりいたら、気づいたらオレンジ色のチームのようにになっちゃうのにな。





2007年11月1日

う〜ん、日記を書く時間もなかった10月。
で、今もほとんど東京に居ない日々で、たまの東京へ戻ってくると打ち合わせ地獄な毎日。
このあいだなんて、編集に京都まで来てもらっての打ち合わせなもんで、何か止まることのないマラソンランナーになった日々を送っちょります。

そんな毎日だというのに言われたんだよね。
「先生(大学ではそう呼ばれてしまっちょります)いつも楽しそうですよね」
京都精華大の学生と、宇都宮文星芸大の学生に、メチャクチャ忙しい真っ直中で言われたんだよね。
「オレは忙しくて遊ぶ時間なんてねえんだよ!」
そう言ったボクに、学生は「毎日バンドやったりして遊んでばかりいるじゃない」「作品だって何か嬉しそうに創ってるしね」などと言ってきやがる。

ん?
楽しいと言えば、たしかに楽しいかも・・・
ここのところいろいろな仕事が舞い込んできていて、もちろんデジタル配信のコミック、クリコミが中心なのだが、紙媒体でも雑誌社からもいくつか原稿依頼が来ていて、原作の依頼は作画に関しての漫画家はボクに任せてくれるというので、力のある学生に描かせてみようなんて考えてるんだ。
いや、描いてもらいたいと感じる作画を描く学生がいるんだよね。
他にも「いい新人を使いたい」といった、友人の編集から連載依頼もあって、さっきプロとして十分通用すると感じている学生に次ぎの授業のとき、プレゼン用の原稿を持ってくるように伝えたところなんだ。

クリコミも、学生にプロとしての作品を創らせているんだけど、この何ヶ月で、魅力ある発想をもって作り始めた学生が何人かいてね。
ボクが大学へ入ったとき、「教えるのではなくいっしょに創っていきたい」と、生徒に言ったんだけど、それが形になりはじめてきたってことなんだ。

クリコミはまだ、ぼくら以外のプロの作家は足を踏み入れてないもんで、つまり一歩足を踏み出すたびに、新しい開発なんてことになっているもんで、大学で研究しながら作品を創っていけるという環境は最高の場になってるんだよね。

ただ、相棒のPCディレクターの高橋氏のような、クリコミの編集作業の行えるディレクターを至急に育てなければ、ぼくらの制作会社「電子工房」がもうパンク状態で・・・いや、すでにパンクしている状態でもあって、これが一番の悩みだな。
だけどこれも、学生でがんばってくれている人材が出てきてくれているので、あと半年がんばればなんて思ってるんだけどね。(頼むぜ学生)

つまりは、大学へ来てから、プロとしてのレベルとスタンスは崩さずに、サークル的な環境で作品を創ることができてるんだよな。

う〜ん、確かに楽しいかも。

そんなもんで、最近はやたらとギターを弾き、ライブをやり、そう、30数年前の大学生だった京都のころのような気持ちで生きてる自分が確かにいるな。

ナッちゃんとの高円寺フェス「のら犬カフェ」でのライブも楽しかったし、文星芸大での学祭は最高に面白かったよ。
学祭では、学生とバンドを組んで、わがだらぁ〜ずの、石渡治氏、アラキ氏もサポートでやってきて、ちばてつや先生なんて、丹下段平のかぶりもので登場。
そのかぶりものを脱いだら、その下も丹下段平だったもんで、そりゃもう大ウケ。
ステージでね、そんな観客の笑い声、いっしょに踊り、手拍子を聞きながら歌っている自分にしあわせを感じたな。
マンガ専攻の唄として、ちば先生の依頼で創った「寺子屋の唄」は、喜んでくれて、口ずさんで身体をゆらしているみんなの姿が嬉しかったよ。
「乾杯」の曲のとき、会場の全員が歌ってくれたあのときの空気には、ホント感動。
ちばてつや先生の、みんなを楽しませようという姿にも感動。
凄い先生だよね。
ありがとね、みんな。
そしてちばてつや先生ありがとう!
最高の文化祭だったよ。

そうそう、姪っ子のアキちゃん、結婚おめでとう!
ちょうど文星芸大の学祭と重なって、アキちゃんの結婚式場と大学でのバンドライブを車でぶっ飛ばしながら掛け持ちしたけど、アキちゃんの結婚式最高だったよ。

そんなこんなで、あらゆることが忙しい日々だけど・・・たしかに楽しい。
今も、学生と組んでの作品のこと、あらたに学生とのロックバンド結成、もちろん作家としての活動。
それにね、わが故郷広島のボール遊びでロクムシというのがあるんだけど、ちば先生、学生たちとロクムシ部をつくることにしたんだ。
それも楽しみ。

スケジュール表をめくれば真っ黒でゾッ!とするけど、それだけの新しい人との出会い、そして遊びも含め、新しい作品との出会が待ってるってことなんだよな。

ん、これからも楽しそうじゃねえか。
がんばらなくっちゃ!



※ステージ写真はオカチン撮影。





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