思い立ったら日記 2008



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2008年12月26日

年末のポッカリと空いた時余。
今日はK談社の交流会だが、さすがに忘年会がつづいていることもあり休肝日と称して仕事場で雑用をやっている。

この年末の早いことか・・・丁度一週間前、大学での今年最後のゼミ講義、そしてちばてつや先生や学生たちと深夜までのお疲れ様会で騒いだ日だったのだが、もう今年も残り5日となってしまった・・・
いや、たしかに流れは早いが、この一週間を思い出してみれば、ずいぶんたくさんの人たちと会っている。
仕事関係の会議、また忘年会と人の集まるところに顔を出すことがつづいたこともあり、無造作に今、机の前に置かれた名刺入れがやたらとふくらんでいる。

つまりは、大学が冬休みに入ったことで、やたらと人に会う日々がつづいているというわけだ。
そして、朝の時間を気にすることもない日々なもんで、最後はいつも、高円寺か阿佐ヶ谷のいきつけのどこかの店でひとりで飲んでいる。
20年以上・・・ぼくの夜の居場所となっているこの街、高円寺、阿佐ヶ谷では、いつも20代のころにタイムスリップしてしまう。

不思議な街で、先日もはじめて出会った20代の女の子と、朝まで寺山修司のことを語り合ってしまった。

その前も、カウンターにたまたま座っていた連中と、「日活ロマンポルノ」で大盛り上がり。
藤田敏八、神代辰巳、曽根中生、東陽一、石井隆、小原宏裕・・・
水原ゆう紀、日野繭子、鹿沼えり、宮下順子、風祭ユキ、赤坂麗・・・
監督論から女優論まで・・・これがたまらんほど楽しかった。

他にも、はっぴいえんど、遠藤賢司、鈴木茂、優歌団、サウストゥサウス、四人囃子なんて70年代日本のロックで盛り上がった日もあったな。
いやいや、たった一週間を振り返っても、この街で飲むのはやはりおもしろい。
音楽、映画、演劇、マンガ、小説、スポーツと、ある意味、同じ臭いの持った友たちと出会える街なんだ。
そして本当に酔える街。

最近、年齢を重ねたせいでとくに思えるんだけどね。
人との出会いの僥倖。
共有できる時間をもてる人との出会いが、しあわせの時間との出会いで、それが生きていくことでいかに大きいものなのか・・・

毎年のことだけど、今年も年末、年越しは高円寺、阿佐ヶ谷で酔って候。





2008年11月29日

気づくと11月も終わり、仕事場の庭はすっかり秋の朱に変わっている。
そういえば今月、まったく日記を書いていない。

このままでは5年間つづけている日記の中で、2008年11月だけが空白になってしまうではないか・・・
ある意味、原稿の締め切り気分で「日記を書かなければ」と机に向かっている。

あいかわらずとにかく24時間フルの毎日を送っている。
数年前、中国へいっしょに行った、作家の夢枕獏さんの言葉を思い出した。
「倒れるまで仕事、起きあがれなくなるまで遊ぶ」
まさにそんな11月がつづいている。

大学の日々。
TV局と組んでの、来月からスタートするコミックサイトの準備。
小学館・集英社プロの「ドリームトライブ」では、ミュージシャン、アパレルデザイナーとのコラボで新しいコミック、イラストの動きをK氏と進めている。
http://www.dreamtribe.jp/comic/affiliated.asp?organizational_cd=36

また海外からスタートする、大広告代理店はもちろんのこと、国まで巻き込んでの大がかりなイベントの企画もスタートした。
他にも広告代理店と組んでの企画がいくつか持ち込まれている。

大学の学生たちというか、ぼくは同じ作家としてつきあっているのだが、田中ゼミのKくんの月刊誌での連載スタート、Sさん、Tさん、Kさんの作品の来月からプロとしてフジTVサイトからケータイコミック配信開始。
もうひとりのSさんに関しても大手出版社からの絵本出版に向けて奔走している。
そして、そしてだ!
ゼミのUくんの作品が、来月まで発表を控えてもらいたいと、国の長官が発表するまで書けないが、凄いことになっているんだ。
そちらの方も、今、K立新美術館での展示方を考えなければならない。

自分の原稿ももちろん描いている。
フジTVサイトから来月より先行配信する「キャンバスの中の裸の私」がアップ。
グラビアアイドルの山口果歩さんとコラボしての企画作品だが、思い切りアートして描いた百枚以上の絵で展開する作品なので、どういう反応が返ってくるか楽しみな作品なんだ。

柔道家の山口香さんを通して依頼をうけた、講道館のポスターもアップ。
何か日本中の道場に一年は張られるポスターを任されるというのはうれしいもので、ぼくなりのメッセージを込めて描いたつもりだ。
作品を創る中で、今回、山口さんといろいろな話ができたことがうれしかった。
メダリストの内柴選手、谷選手、そして大好きな鈴木選手の話を聞き、書きたくなっている自分がいる。
山口さんは、内柴選手、鈴木選手と「飲みにいきましょう」と、夢のようなことを言ってくれた。
その前に、まずは嘉納杯に行ってくる。
スケジュールを必ず調整して、メダリストたちにはもちろんのこと、久しぶりに古賀さんとも会いたいと思っている。
だが会ったら、書きたくなるだろうな。
間違いなく仕事を増やしてしまうことになるだろうな・・・
だが、そのことが嬉しい。

今、画ニメを創ろうと思っている。
http://www.ganime.jp/
天野嘉孝さんや、林静一さんなどのアーチストたちも創っている新たな表現世界だ。
実はぼくは震えがくるほどワクワクしている。
絵を描いてきた。
物語を創ってきた。
音楽をやってきた。
写真を撮ってきた。
そのすべてがひとつで表現できる。
作・画・音楽・演出すべて自分でやれる世界だ。

あぁ、創りたいものがありすぎる。
行きたい場所がありすぎる。

ちくしょう!もうすぐ2009年か・・・
時間は1秒たりとも無駄にできねえな。




2008年10月23日

「今やっていることは革命じゃないだろうか?」
昨夜、大手SプロダクションのK氏と飲みながらそんな話になった。
K氏とは大手出版社の始めたウェーブ上でのコミック配信がきっかけで知り合い、プライベートでも飲みあいながら、出版、TV、音楽界、アパレルと結びつけての企画をたてている。
そのいくつかはすでに形となって、次のステップとしての大きな動きを企てているというわけだ。

今、出版社、TV制作会社、広告代理店などで働いている、K氏と同様の友人・・・いや、新しい動きをいっしょに始めている「戦友」が気づけば、まわりにたくさんできている。

そんな戦友たちとは飲んでいて、話していて実に楽しい。
夢、そして何かを動かす力が酒の回る中で言葉となり、廻りからみれば「熱苦しい」と思われるほど、熱く語り合っている。
そんな中で飛び出した「革命」の言葉。

学生の頃を思い出した。
あのころ「革命」はあこがれの言葉ではあったが、挫折の言葉でもあった。
ひとつ上の世代は、大学から革命を起こそうと、デモがあり、バリケードがあり、機動隊とのぶつかりがあり・・・解放のための小さな戦争が大学から発信されていた。


だが、最後、あの浅間山荘での鉄球が振り下ろされた場面で象徴されているように、革命は木っ端みじんにつぶされた挫折の言葉となってしまった。

それを見ていたぼくら世代は、挫折を見せつけられたことで、何をやってもしょせん無理と、「シラケ世代」と呼ばれる世代を生きてきた。

だがどこかに革命へのあこがれはいつもあった。
アメリカと闘いキューバ革命で解放を勝ち取ったゲバラは、大きな抑圧された力に挑んだ英雄の象徴としてぼくの中には今も刻み込まれている。

マンガは出版社のもとという定義がもう完全に崩れた今、無限大に表現手段は増えていっている。
作り手は「場」があれば、その「場」のために間違いなく新しい表現を編み出していく。
その「場」を今、ひとつひとつ形として創り上げていっている。
ある意味、旧体制から嫌がらせのようなこともおこるが、それ以上に新しい「場」を創るための、戦友が集まってくれている。
新しいことを始めるための・・・解放。
たしかにこれは「革命」だ。


実は今週、久々に東京にいる。(明日、また宇都宮なのだが)
夏休みが終わり、先週まで休日もほとんど大学で仕事をやっていた。
大学の集中授業に、締め切り過ぎた自分の原稿もやっとアップと、新しい仕事、作品の打ち合わせは宇都宮まできてもらっての忙しさ。

そんな中、ちば先生の「トモガキ」の原稿も2年のT君中心に学生たちと休日返上でがんばったよ。(前回の「赤い虫」のときもそうだけど、ちば先生の原稿に加われるなんて夢だぜ、夢)
まぁ、忙しさの中、つまりはけっこう喜びの方もたくさんあったというわけだ。

そんなこんなで毎日深夜まで大学で仕事をやっていた先先週の日曜日。
広い大学のマンガ専攻の校舎の中、ちば先生と別々の研究室と教室で、仕事をやっている時間が流れていた。

先生は昼から深夜まで、ずっと机の前で作品に向かっていた。
ほんの一時間だけと言ってはじめた仕事が6時間以上もつづいている。
講演がつづき、昨夜は眠れなかったといいながらも「ちょっとだけ」と、作品の前に座ったとたんに、作品の中にのめり込み描きつづけている姿。
そんな姿を近くで感じながらの日曜の夜。

これ以上のエネルギーがあるかい?
ちば先生にこんな姿を見せられてがんばれない作家はいないよ。
忙しさに負けて、断ろうと思っていた原稿、その姿を見たとたん「やります」とメールを打って、実は今、飲みの誘いを断り東京の仕事場でその原稿をやっている。

革命に作家としての原稿と、そして大学。

いやいや、長い日記になってしまったな。





2008年9月28日
 
今日は2時前からTVの前に座ることにした。 
広島カープVSヤクルトスワローズ戦。 
公式戦、広島市民球場最後の試合だ。 
 
中学一年までぼくは広島で育った。 
そういうこともあり、約半世紀をカープの熱烈なファンとして生きてきた。 
生活のすぐそばに選手たちがいた、カープはそんなプロ野球チームだった。 
 
記憶をたどるとそんなカープとのいくつもの思い出・・・ 
 
小学校の門の前には古葉選手が住んでいた。 
中学で同じ野球部だった達川選手が後にカープに入団した。 
衣笠選手がまだ背番号28の時代、合宿所の近くの公園で野球を教えてもらい、「忍耐」と書かれたバットをもらった。 
外木場投手にファンレターを書くと返事をくれた。 
市民球場で三村選手とキャッチボールをやった・・・ 
 
いや、こんなことを書いていたら朝までになってしまうほどの書ききれない思い出がありすぎる。 
 
そのすべての中心だったのが広島市民球場・・・ 
あのころぼくは自転車をこいで、ひまさえあれば市民球場に遊びに行っていた。 
ウエスタンリーグの試合は当時、たしか全席無料だったか、20円ほどだったこともあり、二軍の試合、そして練習もよく見に行っていた。 
 
そんな日々が日常だったものだから、カープが好きになり、野球がどんどんと好きになっていった。 
広島市民球場があったから、これほどまでに何十年も、いくつも野球を題材にした作品を創ってきたことも含め、野球に夢中になれたのだ。 
 
広島市民球場の起工された日、1957年2月21日にぼくは生まれた。 
つまり広島市民球場はぼくとまったく同じ年齢なのだ。 
その市民球場での公式戦最後の、幕を閉じる試合が今日行われたというわけだ。 
自分にとって聖地であり、同じ時代を歩んできた広島市民球場。 
 
その市民球場での最後の公式戦は、実にいい試合だった。 
2年目の前田健太が好投、活躍し、四番の栗原健太がホームランを打ちカープが勝利した。 
そして、カープ最後の打者は大好きな緒方だった。 
 
ぼくの記憶の中で、この市民球場で活躍してきた選手がハッキリと今も見えてくる。 
長谷川投手、外木場投手、安仁屋投手、佐伯投手、江夏投手、津田投手、大和田選手、山本一選手、古葉選手、山内選手、西本選手、今津選手、山本浩選手、衣笠選手・・ 
 
広島市民球場という場があったから生まれてきたいくつもの思い出・・・ 
広島市民球場よ、まだありがとうはまだ言わないでおこう。 
日本シリーズ。 
そう、そこで本当の、広島市民球場の最後が見られると信じている。 
 
カープはもう一度市民球場へかならず帰ってくると・・・信じている。





2008年9月10日
 
夏のおわり3 気生根
 
今回のマンガサミットの行われた京都は、ぼくが18歳から23歳までを過ごした、間違いなく青春の街だ。
それも、ぼくが住んでいた岩倉にできた、国際会館で行われていた。
 
あのころと同じ比叡山がすぐそばに見える。
あのころ・・・京都時代、いつも比叡山を見上げていた。
そう、「何者でもない」自分は、これから「何者になろうとしているのか」を、比叡山を希望と不安の中で見上げていたことを思い出した。
 
鞍馬に行ってみよう。
突然思い立った。
あのころ、いつもひとりで鞍馬へ行き、貴船までの山の中を何度歩いたことか。
あの場所が好きだった。
あの場所へ行けばいつも元気になれていた。
 
樹齢千年を超える木を抱き感じることのできる場所。
 
数年前、貴船の意味を知った。
貴船の本当の地名は「気生根」と書くそうだ。
そう、気が生まれる根の場所。
気のわき出ている地なのだ。
その気が京の町を造ったと言われている。
 
その場所に、マンガサミットの最終日、ぶらりと大学のM助手さんと歩いてきた。
風が、不思議な風がふたりに向かって吹いてきた瞬間があった。
Mさんはナウシカのように両手を広げ、宙に浮いたようにぼくには見えた。
 
鞍馬はもう秋だった。
貴船で川床という、貴船川の上に床をつくり、川の上で涼みながら料理を食べる店がいくつかある。
その店のひとつに入って、その涼しさから鍋を食べた。
 

今、この日記を駒ヶ根の大沼湖を前にして書いている。
真夏に息づいた緑だった木々に、小さな紅葉を見つけた。
秋があった。
 
2008年の夏の終わりの光が、湖をキラキラと照らしていた。





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