思い立ったら日記 2010



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2010年12月15日

高円寺という街が好きでいつも飲み歩く。

いくら仕事を抱えていても、仕事場を抜け出して飲みに行く。
出会いがある。
懐かしい出会いがる。
それは自分との出会いだとわかっている。

藻掻いている、自分が何者か自信がもてず藻掻いている若い力。
あぁ、あの頃の自分と同じだと、酒を飲みながらそいつらと語り合う。

その藻掻きがあって、いや、その藻掻きも自分なのだとわかるときが必ず来ると、言葉に出さずに、そいつらと酒を飲む。

人は生きた年月だけ、それを背負い生きていくこと。
背負ったものすべてが自分の生きた証だと、自分は覚悟がなかったと思うなら、思えばいい。
その心の揺らぎが自分であり、そこから生まれてくるものが、他ではない自分なのだと。
それがあって、踏ん張る力が生まれてくるものだと。
それが歳をとることだと、いつか必ずわかるはずだ。

そしてそれがわかったときも、藻掻きつづけている自分がいるはずだ。

それは、藻掻くということが、「あきらめない」と、同じ言葉なのだから。




2010年12月12日

時代が動いている。

実は土曜、間違いなくこれからの創作、いや人生が変わるほどの大きなことが決まった。
面白い。
昨日、電話でそれが決まったと告げられてから、実感がわくわくと沸いてきている。

日記で縁の話しは何度も書いてきた。
何かが動くとき、人の縁が必ず集まってくる。
それは、浜田剛史が世界チャンピオンになるとき、ありえないような奇跡のような縁が集まるという、世界チャンピオンになるための2年、20代の後半で奇跡の2年を身近で感じることができている。
縁の力。
その縁は今も、今回の縁にももちろん繋がってきている。

5年前、だれもデジタルでマンガなど相手にしていなかったころ、何かに惹かれるように、技術も知識もまったく未熟にもかかわらずデジタルの創作に入り、作品の配信をはじめた。
この出会いも縁だ。
そして小さな力では限度があると感じた1年半。

だがそこからの縁で、大学という、新しいことへの「実験」の場所ができてくる。
その大学が大きく縁を広げていってくれている。
アップル、セルシス、ワコムといったデジタルでの制作にぜったいに欠かせない企業との縁も、大学という場があってこそ。
メディアだけでなく、企業、国、市と、創作、実験、開発との縁ができたのも、それはすべて大学という世界へ呼んでくれた、ちばてつや先生、牧野圭一先生のおかげだと思っている。

そしてここへ来て、iPadを皮切りに、GARAOAGOS、Readerといったデジタルタブレットが続々と出てきている。
デジタル黎明期でやってきたという縁もあり、うまく中に入り込めている。
作品を配信する、配信できる場に立てているというわけだ。

今、「出版社」ではなく、「出版者」の時代になったとハッキリ言える。

そしてここへ来て、新しい創作、実験、開発に対する大きなスポンサーが付いてくれた。
これも縁なのだが、デジタルマンガ協会、帝京大学と、3Dの作品を創作始めた矢先のことである。

この年末、企業のトップの人たちと出会うスケジュールが続々決まっていっている。
ここから、またいくつもの大きな縁が間違いなく生まれていくのだろう。

土曜、今回の大きなことが決まったことにより、小学館プロのKと、来年は勝負の年になると、この何年間か、何度も飲み、語り合った夢への実現の年になると、リアルにKと感じ合い、力が沸いてきている。

とてつもなく忙しい。
だが、とてつもなくおもしろい。
そしてとてつもなく楽しいではないか。

たまらん日々がつづいている。

そうそう、土曜日、高円寺の縁で、ひとりの新人アーチストの写真を撮った。
彼女はいい目をしていた。
才能との出会いも縁だということだ。





2010年11月23日


すべての始まりはブルース・リーのこの言葉からだった。
“考えるな。感じるんだ。
いわば空にある月を指さすのと同じだ。
月にこだわっては、
その先にある美しいものを見失ってしまう。”

映画、「燃えよ」ドラゴン」の、オープニングの場面で、ブルース・リーの思想がスクリーンを通して語られたときの言葉である。
映画を見たのが、公開されてすぐのときだから、1974年、17歳のときだ。

この言葉がずっと頭と心の中にあり、10代、20代、30代、40代、50代と、歳を執るごとに、その言葉の深さ、凄さを感じている。

この言葉がなければ、きっとこれほど武術に興味をもたなかっただろうし、「強さ」の考えもまったく違ったものになっていたかもしれない。

武術に興味を持つことで、力に惹かれ、技に惹かれ、気に惹かれ、その流れであたりまえのことだが、武術がどうやって生まれたのか、その原点へと好奇心の目は向けられていく。
武術の父、それは禅宗の開祖でもある南天竺国の僧、菩提達摩なわけだが、この達摩を調べていくと、たまらなくおもしろい。
そしていろいろなことが繋がっていく。

その達摩が武術を生み伝えたとされる地、崇山少林寺・・・つまり、武術の聖地だ。
そこへ行きたい。
いや、正確に言えば菩提達摩が真理を求めて9年の間座禅し悟りを開いた、少林寺の山、嵩山の上にある、面壁九年の洞窟へ行きたいとずっと思っていた。
今回最後の旅はそこへ向かうことだった。

その少林寺へ向かう前に、もうひとつ、どうしても立ちたい地があった。
少林寺のある、登封に向かうバスに乗り、途中の村で下車。
そこからバイクタクシーで、民家のほとんどない村外れまで向かう。
そこにあるのは玄奘古居・・・玄奘の生まれた地である。

天竺から中国へやってきた達摩、そして中国から天竺に向かった玄奘。
この二人が、少林寺の地で交差する。
そのふたりが河南省の中の、これほど近い地で生きていたという偶然と興味。

たどり着くと民家すらなく、故居の入り口が閉まっている。
愕然としたとき、2時間後に、門番が食事から帰ってくると、たまたま通りかかった牛を連れた老人が教えてくれた。
これも縁なのか、その2時間が貴重な時間となった。
玄奘故居の前で待っているとそこへ玄奘寺の僧がやってきたのだ。
高くんに通訳してもらいながら、玄奘、少林寺、そして日本人の僧について、震えるほどの興味深い話を聞くことができた。
この話はあまりに長く、貴重な話しなので、物書きとして、ちゃんと書いておかなければならないこともあり、今進めている電子書籍の中ででも書く場を作ろうと思っている。

とにもかくにも、2時間後、故居の門は開き、玄奘も飲んだだろう、深い井戸の水に口を付けてきた。
ここで玄奘が育ったという、その地に立つリアル。
少林寺の前にここへ来て本当によかった。

そして少林寺である。

ほんの数週間前に、少林寺が世界遺産に登録されたこともあって、人で溢れかえっていた。
まるで正月の初詣のような人、人、人。
少しがっかりとしたものの、一番の目的だった達摩洞へ向かうと、ほとんど人がいなくなった。
4キロの山道。
またも地獄のような階段がつづく。

そして達摩が面壁を行った洞窟にたどり着いたとき、振り返れば、その絶景たるや、崇山の山並みに、そして快晴の蒼いい空だった。
遠くから少林寺からのお経が風に乗り聞こえてくる。
じっと風の音を聞く。
達摩はここで何を感じていたのだろうか・・・
ここから見えるただ自然があるだけの風景は、達摩の見た風景とさして変わらないはずだ。

達摩が面壁九年を行った洞窟には、尼僧がひとりいるだけでだれもいなかった。
線香をもらい、お布施を渡して洞窟の中へ入る。
だれもいなかったこともあり、しばらく香を焚きながら瞑想した。
禅を組み、遠くを見ず、近くを見ず、考えるではなく、感じる意識を持って瞑想した。
無。

ここへ来るのに何年かかったのだろうか。
36年。
そうだ、ブルース・リーを知ってから、ここへ来るという流れができていたのだと思う。
意識し、その意識を持って生きるということは、いつかそこへたどり着く意識となる。
ぼくはそう思っている。

そしてここへたどり着いたことで、次なる意識も生まれた。
実は自分の生きる感覚が軽くなったのである。
宇宙というものに少し近づけた、その意識が、自分が宇宙に生きていることを深く教えてくれる。
人は宇宙の一部。
禅、そして仏教というのは宇宙の意識に近づくためのものかもしれない。

実は昨日、グライダーに乗り、熱気球に乗ってきた。
それが今回の旅で感じたことと結びついていく。
空を飛ぶということ、鳥が空を飛ぶということ。
この空気の中にある気泡を、鳥は知っていてその気泡を利用して空を飛べるということ
つまり、飛ぶことは「気」なのだ。
人間は「気」で生きている・・・いや、宇宙は「気」でできている。

何か話しが「老子」の道教的になってしまったようだ。
この旅で感じ、そして少林寺で感じたことは、今、進めている電子書籍の中で形としてちゃんと書くと決めている。
もちろんすでに書き始めている。

今回の旅の終わりを書いておこう。
このあと、バックパッカーの旅は、高くんとともに少林寺から鄭洲へ行き、そして上海へとバスと電車を乗り継いで戻ってきた。
鄭洲から上海への電車は席がなく、9時間席なしで戻ってきたが、それもバックパッカーの旅である。
50を過ぎてもこんな旅のできた嬉しさ。
そしてまだまだ旅が続けられるという確信。

日本へ戻ってきて三ヶ月が過ぎようとしているが、間違いなく自分の中で新しいものが動き出している。
それも形になって動き出している。

「旅は作家を創る」と、五木寛之が言った言葉だが、「旅は宇宙に近づく」と、今回の旅を終えて自分の中から出てきた言葉はこれだった。

すでに来年の旅のことを考え始めている。
来年はチベットへ行く。
もっと宇宙に近づくために。

真夏の旅人 終





2010年10月25日

西安から洛陽へ。
旅は中国最古の仏教寺院、白馬寺、そして世界遺産でもある龍門石窟のある洛陽へと鉄道で向かった。
そして洛陽から今回の一番の目的である武術の聖地、少林寺へ。

武術に関してはもう15年は取材してきている。
沖縄の「手」から始まり、空手、合気、柔術、そしてそこから中国武術と出会ってきた。
好奇心が興味となり、知りたくて興味の先へ出かけていく。
すると、もっともっと知りたくなり、それが書きたくなるに繋がっていく。
つまりはこれも旅だということだ。

武術の旅は、最初は劇画の題材としての、闘いの技として興味を抱き調べていっていたのだが、それが「生」へと、「生きる術」として深く旅に出ることになっていった。
「殺人拳」から「活人拳」への興味。
たとえば、リュック・ベンソンの名作、「グランブルー」のモデルでもあるジャック・マイヨールが、なぜ人類初の素潜りで100メートルまで潜ることができたか・・・
ここに「活人拳」としての武術と繋がるヨーガと禅がある。
呼吸法や、精神のコントロールによって、人間の生命力を引き出していったということだ。

この生命力を引き出すことを辿っていくと、これがまた仏教へと繋がっていく。
仏教から生まれた禅は、武術の父である菩提達摩が禅宗の開祖となっている。
ヨーガもこれも仏教の中から生まれている。

武術から仏教を見ていくと、もうこれは宇宙の法則のように今は感じてきてしまう。
今回見てきた、西安の青龍寺の曼陀羅にしても曼陀羅は宇宙ではないか。
そして生きるということ、それは宇宙に生きるということだと教えてくれる。

今回の中国の旅は、そういった、自分の生きて興味を持ち、そこで生まれてきた、知りたいという気持ちが動かした旅でもある。


西安から向かった洛陽は、古い都といった美しく時間がゆっくりと流れているような街だった。
夜の洛陽につき、高くんが西安でネットで取った二人で160元(2200円)のホテルへタクシーで向かった。
タクシーがホテルの前に着いたとき、これは違うと思った。
眩しいライトアップされた入り口に、広々としたロビー。
二人で2200円で泊まれるようなホテルではないと、間違ったホテルに来たと思いながらフロントに訊ねると、この値段で泊まれるという。
部屋も大きく、ゆったりとしたバスもある。
目の前には大きな公園もあり、高くんとこの街でいいことが起こる予感をすでにホテルから感じていた。

その予感は当たった。
白馬寺で空海のことを知ることができ、そして龍門石窟。
これは何と表現したらいいのか・・・
約10万の仏像が彫られた、立体曼陀羅といったらいいのだろうか・・・高くんとまるで宇宙を見るように龍門石窟での一日を過ごした。
小指ほどの仏像から、峰先寺洞の18メートルの仏像までそのスケールに魂が震えた。
兵馬俑もそうだったが、見る者の、その地に立ったものの人生を変えてしまうとてつもないエネルギーがそこにある。

人間の一生なんて80年も生きればよく生きたと思える、本当に短い一生である。
その80年の中で、人はこの宇宙でいくつのものと出会えることができるのだろうか。
龍門石窟と出会ったことがいかにしあわせなことか・・・
そう感じさせてくれる出会いだった。

そして今回、この旅を始めるきっかけとなった少林寺へ向かうため、バスで洛陽から登封へと向かった。
そこでもまた宇宙と出会うことになる。

つづく





2010年10月23日

西安では二つの山へ登った。
ひとつは麗山で、もうひとつは中国五大名山のひとつ、華山である。
中国の山というやつは、坂ではなく、とにかく階段を登らされる。
つまり山に登るほとんどが、2000メートル以上の山にしても、階段で登ることになることが多いのだ。
これはどうも中国は山の上には寺があることが多く、その寺へ通じる道として階段がつくられたのではないだろうか。

今回の中国の旅で、本は荷物になると、二冊にしぼりザックに入れてきた。
一冊は少林寺のことが載っている中国武術の本、そしてもう一冊は「老子」である。
中国の大陸の中で、老子の言葉を考えてみようと思って持ってきた文庫本である。
老子の思想、「道教」は、「絶対」を否定する、すべては自由な、自然、宇宙を感じるといった、孔子の儒教の思想、「私の道はひとつで貫かれている」とはまさに逆の思想、「あるがまま」の思想でできている。

実は「道教」を知ったのは、中学のとき、ブルース・リーの言葉が「道教的」だと、それで興味を持ったところから始まっている。
「燃えよドラゴン」の冒頭で、ブルース・リーが思想を語る。

考えるな、感じろ。

いわば空にある月を指さすのと同じだ。
月にこだわっては、
その先にある美しいものを見失ってしまう。

この言葉は20代のころから未だに、仕事場の机の前に張ってあり、自分の生き方の根底の言葉になっている。

で、話はもどり、麗山と華山である。
つまりはそのふたつの山は道教の山だということだ。

麗山の道教の寺に行ったとき、お坊さんに祈りの形を教えてもらった。
手は、左手の親指を右手で持ち、左手で右手を包み込む形をつくる。
その形はまさに、陰陽の形となっている。
万物の生成力は、陰と陽の二つの気によって創られているという道教の思想。
その陰陽の手を頭の上に3度掲げお辞儀をするというのが、道教の祈りの形だということだった。

華山に登った日はあいにく雨だった。
その2000メートルを超える岩山である華山の1600メートル近くまでロープウェーで行くもので、観光登山的なイメージがあるのだが、年間200人以上が滑落し死んでいるほどの、下を見れば1000メートルの絶壁を鎖で登り歩くめちゃくちゃ厳しい山だった。
ロープウェーも、写真でわかると思うのだが、空を飛ぶような、目の下は1000メートルは超えるほどの空にぶら下がった形で山と地上が結ばれている。

さすがにこんな山なもので、2160メートルの南峯を頂点に、東峯、西峯、北峯とあるのだが、雨の中登るのは危険と思い、北峯だけ登り帰ってきた。
(実際、その日、2人ほど華山で亡くなったとあとで知った)
ただ、その墨絵のような、まさに仙人でも住んでそうな絶景が広がる華山、機会があればぜひもう一度チャレンジしたい山である。

西安ではもうひとつ、今回の旅の目的でもある、達摩、玄奘、空海の歩んだ地に行くひとつ、空海が遣唐使の留学僧として修行した、青龍寺にも行って来た。
中国人にはさしてなじみのない寺なのか、人はいなく静かで、寺にあった曼陀羅の前では自分の世界に入り込んで見ることができた。

空海のことを思った。
四国に住んでいたとき、空海の生まれた善通寺が身近にあったことから、空海の存在は近くに感じていたが、10年ほど前から武術に興味を持つことで、武術と仏教、禅が繋がっていく。
4年前に、その流れから空海が入滅した高野山に行き、空海の入滅した高尾山は宇宙だったことを思い出した。
そして今回、有る意味、空海の核となる地に立ったことになる。
無名だった空海が、この唐へ渡り修行によって、伝説の空海として動き出す、その核の地、青龍寺。

空海が室戸岬の御厨人窟で修行中、洞窟から目にしたものが、空と海だけだったことから
「空海」と名乗り始めたという・・・
17歳のとき、自転車で四国一周したとき、室戸の海岸線を走った目の前の景色は、まさに空と海だけだった。
あのときの空と海が、空海の修行の地、西安の青龍寺に立ったとき急に蘇えってきた。

つづく





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