思い立ったら日記 2011



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2011年7月21日

今年の日記は旅の話が多い。
きっと心が飢えているのかもしれない。
いや、もう人生の半分を遙かに超えたことで、まだこの地球に生きて、見ていないものがありすぎると、どこか焦っているのかもしれない。

ちょうど昨年の今頃は、一ヶ月にわたる中国をバックパッカーで旅する準備をしていた時期だ。
菩提達摩、玄奘、空海。
その足跡を追ってのバックパッカーだった。
菩提達摩、玄奘、空海はぼくは旅人だと思っている。
生きて帰ることのできないであろう、そんな旅に出て生きて帰ってきた、だからこそ何億という人間の心を揺さぶりつづけている男たち。

旅は飢えなのだ。
知りたいという欲求の飢え。
その飢えのために命を賭けて旅に出て、そして手にしたもの。
それが「生」の「力」、「生命力」だと感じている。

時間と空間がとてつもなく大きかった時代。
空間を移動するためにはとてつもない時間と命を賭けなければならなかった時代。
だからそこに、濃く、「命の濃さ」が、「生命力」が存在した時代。
考えてみれば逆にしあわせな時代だったのかもしれない。

今はネットによって、その時間と空間が消えてしまった。
遠い海外の友に、時間と空間と飛び越え毎日でもコンタクトをとっているし、仕事もいつしか時間と空間を飛び越えて原稿のやりとりをやっている。

知るために命など賭けなくても、「知ったつもり」になれる。
「知ったつもり」になれば、飢えが消えていく。

でも、そうじゃないことをだれもが知ってる…
時間と空間を飛び越えることで、「知ったつもり」になるのではなく、「知る」ことが必要なこと。
五感で感じるその場所へ行くということ。
旅に出るということ。

旅は一体にしてくれる。
自然はもちろんのこと、絵だって、彫刻だって同じ空間で見れば、触れるなら触れば、気持ちが創造と一体になれる。
これも「生命力」だ。
「生命力」は、すべてが地球を、宇宙を知ること。

だから。
だから旅に出たいと、ぼくは毎日飢えている。





2011年6月27日

あぁ、とてつもなく大きな渦の中にいる毎日を過ごしている。
今、ぼくの言う渦というのは人である。
それもそれぞれがエネルギーを持った人たちとの出会いだ。
すでに人の心を作品で動かしてきたエネルギーを持った人たち。
それが渦となっている。

渦ができるとはどういうことか…
渦は生命であり、宇宙である。
宇宙は渦の集まり、そう、ぼくたちの生きている太陽系ももちろん渦だ。
そしてぼくたちの身体のDNAも渦である。
陰陽も、曼陀羅も渦だ。
生きているということすべて渦。
その渦が集まれば大きなエネルギーとしての時代を創るほどの渦となっていく。

一生のうちにこういった経験は何度もあるものではない。
28歳〜30歳にかけて一度「渦」を感じたことがある。
浜田剛史がボクシングの世界チャンピオンになったときだ。
まるで、浜田は世界チャンピオンになることが決まってたかのように、浜田を世界チャンピオンにするための人が渦となって集まってくる。
奇跡のような出会いがつづき、それが浜田へと結びついていく。
もちろん人だけじゃない。
立ち上がれないほどの試練もあるのだが、それが乗り越えれば、その試練がすべて世界チャンピオンになるためにいかに重要だったか…
小さな渦が、どんどん、どんどん大きくなり、生きているすべてが渦の中で結びついていく。
そして、「すべてこのためだったのか」という、そんな瞬間を向かえる。

わかってもらえないかもしれないが、それを今、本当に感じている。
あまりにもいろんなことがありすぎて、そして忙しすぎて日記すら書けない毎日だが、この一ヶ月、あまりに凄い渦が渦巻いていた。

先月の昨年からKと命を削ってやってきた「デジタルまんが祭り」のイベントが、日本全国のニュースとなるほどの成功をおさめ、チャリティで集まってくれた友人のマンガ家、新たに出会い友人となったマンガ家たちとも新しい動きが始まっている。
そしてこのタイミングで出会うことで、急速に渦を感じているとても大切な友もできた。

漫画、音楽、映像と、人と企業と大学と、生きてやってきたすべてが結びついていく。

こうやって書きながら「あぁ、マンガをやってきたのも、音楽をやってきたのも、写真をやってきたのも、いや、やってきたありとあらゆることが、このためだったのか…」と、そこまで思える繋がりを見せている。

「なぁ、何かおもしろいことやろうよ」
そう声をかけたときから渦は始まるんだと。
そのひとことが、何年、何十年たって、「ホントにおもしろかったね」って、そう言える日が来ると、それが人生なのかもしれないと…
きっとそういうことなんだ。
そう、そういうことなんだよね。



2011年5月17日

何でぼくはあのとき旅に出ようと思ったんだろう。
高校3年の夏休み。
海岸線をただひたすらチャリンコを漕いで、ただ漕いで、西へ向かって漕いで。
よしだたくろうの「今日までそして明日から」って曲をずっと歌いながら…
お金がなかったから、教会とお寺に泊まらせてもらって。
いくつも峠を越えて、そして海が見えたとき、太平洋が見えたとき涙があふれたことを思い出したよ。

感動だったんだよな、あのときの涙。
そうそう、そのあと台風で足止め食って、唸る海を見ながらなぜか不安は感じなくてね。
帰ろうとか、そんな思いより、前へ、ただもっと先に何があるのか…だから、台風が過ぎ去るまで待って先へ進もうとしか考えなかったな。

10日ぐらいだったかな…
四国をチャリンコで走って一週したんだったよな。

あれが、それまではひとりでどこかへ行くのは「冒険」だったんだけど、「旅」になったはじまりだったような気がするよ。

それから自転車で、各駅停車の電車では、無人駅を使って、今だから言えるけど、実はお金なかったもんでキセルの旅やってたんだよね。
海外へ行きだしてからも、考えたら宿ってほとんど事前に取っていったことなかったな。
宿を取っていったら動けなくなるだろ。
その場所へ行って、気に入った町や村と出会ったとき、チープホテルか、南の島だったらバンガローを探すわけだ。

いつも遠くへ行きたかった旅。
それがずっとつづいている。

あのとき旅に出ようと思った気持ち。
そうか、あのときは言葉にできなかったけど、「飢え」だったんだと、どうしようもない心の「飢え」だったんだろうな。
17歳のどうしようもない「飢え」か…

あれから何十、いや、何百だろうな、旅に出たよね。
でもあの最初の旅がすべてを決めたはじまりだった気がするよ。
人はね、生きているテンションというものがそれぞれあるんだと思うんだ。
自分が生きてるって思えるテンションの高さ。

「さよならcolor」の歌詞の中に、こんな言葉があるんだ。

そこから旅立つことは とても力がいるよ
波風たてられること きらう人ばかりで
でも 君はそれでいいの 楽がしたかっただけなの
僕をだましてもいいけど 自分はもう だまさないで

これを聞いたとき、思ったんだ。
楽をして生きられる人と、楽をして生きられない人がいるんだって。
楽ができない人間は、楽をしたら、生きてる感覚、テンションが生きてるテンションじゃないんだよね。
だから楽ができない人。

ぼくの場合、そのテンションのはじまり、大きなはじまりはあの旅だったと思ったわけなんだ。
それからずっと旅はつづき、今も旅はつづいているんだよね。
未だにバックパッカーで旅やってるんだもんな。
止まることができないテンションが、今年はチベットを考えているのだが、チベットに入れないときはマレーシアなんてね。

深夜、研究室で机に向かいながら思い出した17の夏の旅のはじまり。



2011年4月20日

3.11から何かずっと苦しくて…
何か無性に動いている。
動かなければ、立ち止まったらそのまま壊れそうな…なんだろうこの掻きむしられるような、心を握りつぶされそうな圧迫した思い。

3.11のあとちばてつや先生にすぐに相談し、するとすぐに一枚の絵を描いてくれたことから、小学館プロのKさんと動き始め、そして漫画家の仲間たちに声をかけはじめた「ぼくたちに何ができるのか」「マンガで何ができるのか」…「東日本復興支援 漫画で励まそうプロジェクト」 http://www.manynoah.jp/digiman/project.html 

ちば先生が中心になって声をかけてくれたおかげで、凄い人数の漫画家の仲間たちから、被災者の人たち、そして今の日本に対して思いを込めたメッセージ入りのサイン色紙、グッズが贈られてきている。
それを必死になってKさんと今、オクション、チャリティ用に形にしていっているんだ。
もちろん、自分の原稿、大学の講義を含めた仕事とやっている中での動きなもんで、時間があまりにない中での作業。
睡眠時間を削り、休暇を削っての作業。

でも、いろんなことを感じている。
この歳になって、生きるということが、今までぼくは「生命力」をテーマとして書いてきた人間なのに、「生きる」ということがどういうことか、またひとつ投げかけられてきた。

ぼくは今回のチャリティで、支援としてふたつ必要なものがあると動いてきた。
「支援」と「心」、つまり「お金」と「メッセージ」だ。
だがもうひとつ大事なものを忘れていた。

wowowの桑田佳祐の「musicman」の特番を見返しているとき、桑田佳祐が冒頭で言った言葉。
生きている中で、一番幸せと感じるときは、「ねえねえ、新曲ができたんだ聞いて」と、たしかそんな言葉だったと思うのだが、たしかにそうなんだ。

支援というのは与えるだけの援助じゃない。
創る。生み出す。自分がこの世の中で、自分が動いたことで生み出されたものを与えあっているということ。

「ねえねえ、これオレが作ったんだよ」

生きるということは、生きてるということは、自分が何かを生み出し「存在」していること。

Kさんと、次の動きも始めている。
ぼくらの支援の動きを、活動を被災地で起こせないかと。
被災地の人たちと起こせないかと。
そこで生み出したものを、支援の資金とする形。
まだまだ、すごく遠いと思う。
動いたからといって、そう簡単にいくものじゃないともわかっている。
でも動かなければはじまらないんだよね。
それも、このことは何年も続けなければ意味のないこと。
わかってる。わかっているから動きつづける。

そうなんだ。
動かなければ苦しいという思い、生み出さなければ苦しいという思い。
つまりはぼくも生かされているということなんだ。

最近やたらと夏ちゃんがTwitterでつぶやき載せた「サヨナラCOLOR」を聞いている。
http://www.youtube.com/watch?v=uVCUTpkFqhY



2011年4月3日

twitterに「希望を創る」とつぶやいた。

知り合いの若いともだちから、「希望は生まれる」じゃないですかと返信があった。
たしかにそうかもしれない。
でも、「希望を創る」が…ぼくの中でこの言葉が頭の中を繰り返してるんだ。

たとえば想像してみる。
「おはよう」と挨拶していた人が。
「こんにちは」と大きな声を出していた人が。
「ただいま」とやさしさを見せていた人が。
「おかえり」と笑顔を見せていた人が。
それが突然消えていなくなったって想像してごらんよ…
毎日日常で会っていた人が、何人も町ごといなくなってしまうって、どういうことなんだろうってぼくには想像できないよ。

町も人も心も何もなくなってしまったって…
何もかもがだよ。
心が折れるとか、そんなレベルじゃないよ。
苦しくて、苦しくて、苦しくて、でもぼくには想像できないよ。

再建なんかじゃない。
何もかもがなくなったってことは、何もないところから初めなきゃならないことなんだ。
だから創るって思ったんだ。
創らなきゃいけないって…思ったんだ。
それはそれぞれの「希望」だと思う。
そのためにはどうしたらいいんだろうって、今も考えている。

今回、ちばてつや先生を中心に、漫画家の仲間たちが集まってくれて、いい形での大きなチャリティを進めている。
1回なんかじゃない。
何年にもわたってぼくらは考え、動かなければならないこと。
だから今、必死になってまず形を作っている。
リアルに、これからのことをリアルにいろんな人と会って考え、話し合い、アイデアを出しあって進めている。

そのリアルに必要なのは、お金とメッセージ。
このふたつが「希望」には必要だと、リアルに考えればそういうことなんだ。
だから創らなければならない。
ぼくらは、創ることで、メッセージを伝え、お金を生み出してきた…
いや、お金というより、そうやってお金も含めて生きてきたんだ。
だからぼくらにできる「生きる」ことは「創る」こと。
そう、「希望を創る」

そういうことなんだ。





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