思い立ったら日記 2014



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2014年12月01日


2014年11月29日
 
ぼくは「時間は命」という言葉をよく口にする。
50代になってから、リアルにそう思えるようになったからだ。
 
春には、「このサクラをあと何度見ることができるだろうか…」と思い、夏には十代から必ず旅に出るのだが、「あと何度、眩しい夏の旅に出られるのだろいうか…」と思うようになっている。
つまり、あと何年生きられるかということをリアルに思うようになったというわけだ。
 
生き物はすべて、生まれた瞬間、「死」に向かって時間を刻んでいく。
そう時間が「命」で、その命の時間をどう使うかが「生き様」となっていく。
 
ちばてつや先生と、大学への行き帰りの車の中でいつも話しているのだが、最近、先生と話していて、その中で“使命”という言葉が出てきた。
 
人は生きることで、出会いがあり、その出会いがあって自分が「道」が切り開かれていく。
 
その切り開かれた道を夢中で歩いて行くと、いつのまにか「これは自分がやらなければならない」と、自分が道を切り開きはじめる。
 
道を切り開きながら、なぜ自分はこの場所にいるという戸惑い。
ぼくがそんな戸惑いの話をしたとき、ちば先生がこう言ってきた。
 
「それは、“使命”と感じない?」
「ぼくも“使命”を感じることがいくつもあってね」
 
ちば先生の、その“使命”という言葉は、「たしかに」と納得するものがあった。
 
「何でこれをやっているのだろうか?」「何のために自分はこんなに動いているのだろうか?」
とてつもなく仕事を抱えている中で、どういうわけか「やらなければ」と、自分から動き出す仕事がいくつもある。
なぜ断らない自分がいるのか…
もちろん、やりたいからやるのだが、人には限界というものがあるはずなのに、それでも「やらなければならない」という思いが勝ち、動き出してしまう。
 
そういった自分の惹きつけられる思い…
“使命”と思った瞬間、「たしかに」とうなずいていた。
 
その“使命”を感じて動いていることが今、いくつかある。
 
それは今までの時間で動いていると、間に合わないと感じていることがいくつかある。
残された時間などわからないが、体力、精神力を今の状態で動けるとしたら、もう10年ないことだけはわかる。
 
だから意識していることがある。
「この“やること”には何年かかる」ではなく、「自分が“やること”に与えられる時間はこれだけ」と、そう意識して動いている。
 
時間は「命」であり、その「命の時間」が「生き様」となっていくというわけだ。

2014年11月05日
2014年10月31日
 
「働く」という字は、「人」が「動く」と書く。
たしかに、人は動くことによって、何かを生み出し、その生み出したことで報酬を得て、自分の生み出せないものを手に入れるときは、得た報酬を使い、そうやって人は生きている。
 
それは単純な法則で、ぼくはその法則の中で生きてきた。
 
「働かざる者食うべからず」
つまりは、働かなければ生きていけないはずなのに、今の時代、報酬を「稼ぐ」ではなく、報酬を「貰う」ものになっていると感じている。
「働く」という意識が、どうやらぼくの考えとはずれていると感じてしまう。
いや、「生きる」という意識事態がずれていると感じてしまうのだ。
 
「安定は希望です」という、某党の選挙ポスターが街に貼られているのをよく見るのだが、みんなその党のコピーに疑問を抱かないのだろうか。
 
「安定」というのはぼくにはわからない。
ぼくは自由になりたいと「安定」ではなく、「求めている」で生きている。
 
つまり自分の生き方は、他人任せではなく、自分で開拓していかなければ手に入らないもののはずだと思っている。
 
「安定」が希望なんていうのは、他人任せ、他人に委ねている生き方じゃないだろうか。
 
今、時代が大きく変わっている。
大きな会社に入っていれば安定などとぼくにはまず思えない。
 
ぼくはフォトグラファーとしても生きてきたわけだが、フイルムはずっとコダックを使って撮ってきた。
コダックは世界一のフイルムメーカーだと思っていたのだが、時代はデジタルに変わり、その世界一が一瞬にして時代に消されていく。
 
世界的な大きな会社とて、時代の中では「安定」はないということだとだ。
 
個人として生きていると、働くことは「稼ぐ」ことだった。
時代は大きな会社に入っていようと、個人の時代、個人で生きる時代になっているわけで、つまりは「貰う」意識で生きていれば消えていくことになってしまうのではないだろうか。
 
なのに…
 
今日もぼくは「人」として「動き」、そして「働く」ことで稼ぎ、生きている。

2014年10月01日
2014年9月30日
 
いろいろ考える。
 
ぼくが今、やっている仕事、やらなければならない仕事は、来年の夏まで、今の段階で1〜2日でききるような仕事は覗いての「やること」はざっと数えて30の書く、創るを超えている。
もちろん上がる仕事とともに、入って来る仕事があるわけだから、もう金太郎飴状態が数年つづいているというわけだ。
その仕事の量、内容を人に話すと、まずは驚き、それとともに、「あれっ、大学で働いてるんじゃなかったっけ?」「作家してたんじゃないの?」と、大学や作家をやってる以外に、街創りや、いくつかのイベント、マンガソフトの開発、それに今でも音楽もやっていることから、「職業は何?」とまずは訊かれる。
 
まぁ、この職業に関しては、ぼくが偉大なる影響をうけ、あこがれた、歌人であり、詩人であり、作家であり、演出家であり、劇団主宰者であり、映画監督であり、写真家であり…まさに怪人二十面相ばりに、あらゆる姿を持っていた寺山修司が言った職業。
「職業、寺山修司」
この寺山の生き方にあこがれたわけなもんで、ぼくの中では、「職業は?」と聞かれれば「職業、田中誠一.」と思って生きているわけだ。
 
だが、寺山修司も、いろいろな職業をあえてやっているといった意識はきっとなかったんだと思うんだ。
あまりに偉大な寺山と比べるのは烏滸がましいが、まずは「やりたいこと」「おもしろそうなこと」があり、今の自分の武器、たとえば、絵が描ける、写真が撮れるといった自分にできる、興味のあることで表現している中で、自然の中でいろいろなことをはじめていったらこうなったわけだ。
 
マンガ家めざして、中学生で東京の出版社へ持ち込みなどやっていたときは、「マンガ家になりたい」と思っていたのだが、マンガで賞をもらい、プロとしてミュージシャンをはじめた十代のころから、思い出してみるとぼくの意識は完全に変わっている。
 
マンガ家になれば生きて行ける。
プロのミュージシャンになれば生きて行ける。
この意識が、その場に立ってはじめて、「現実」というヤツを知ったというわけだ。
 
プロになれたからって生きていけるわけではない。
ミュージシャンとして入ってくるお金。
マンガ家として入ってくる原稿料…
もちろん新人のころだが、アルバイトした方が遙かにお金は入ってくる金額しか手にすることができない。
 
ぼくらの時代は、「夢」を追って東京へ向かった時代である。
東京に出れば「夢」はかなうなどと出てきて、夢に向かって走り、夢だったデビューできても、それでは生きて行けない。
 
それが現実だった。
 
そこで考えなければならなくなったわけだ。
ここで考えるとは、「知恵」のことだ。
 
ぼくはマンガ家、ミュージシャンなど、創り手としてプロの道を歩くことを、職業とは考えないことにした。
 
それはマンガ家という生き方。
ミュージシャンという生き方。
 
そう考えるとぼくの視界は一気に開けていった。
生き方と考えれば、ぼくは「マンガ家の生き方」と考えたわけだが、写真を撮るときも、イラストを描くときも、エッセイを書くときも、ノンフィクションを書くときも、マンガ家の生き方で創っていくことにしたのだ。
 
キャラを立たせ、コマを割るように演出し、めくり効果、見開きを考えてものを創っていく。
今は、イベントや街創りもやっているのだが、もちろんマンガ家の生き方で創っている。
 
そう考えて知恵をしぼると、マンガ家という生き方で、「稼ぐ」ということも当然考える。
生き方なわけだから、マンガ家という生き方でどう稼ぐかは当然考える。
「これで稼がなければいけない」という考えではなく、「これをマンガ家に生き方なら」と、知恵をしぼり「稼ぐ」を考えるわけだ。
 
その生き方の中で、当然いくつもの「夢」も生まれてくる。
 
そこでまた「知恵」をしぼる。
 
いろいろ考えるとは、つまりは生きることだと…そういうことだと、「今」も考えながらこんな日記を書いている。

2014年08月28日


2014年8月28日
 
今年の夏も車で「旅」に出てきた。
 
前に「旅」と「旅行」の違いを学生に聞かれたことがある。
答えではなく、自分の思いということでこう答えた。
 
“「旅行」は「計画」を立て、その計画をツアーなど交通手段、ホテルなど事前に決め、その計画に沿って行動するもので、「旅」は「目的」を持って「想像」で動いていくもの。”
 
極端に言えば、「旅行」で死ねば、それはツアーなど計画を立て任せたものの責任になるが、「旅」で死ねば、それは自分の責任であるということだ。
 
ぼくはこう思っている。
旅は「想像」して目的に向かって動く、ぼくの場合、人の行かない場所へひとり旅にでることが多かったこともあって「死」を意識することも多かった。
「死ぬかもしれない」、それを想像すれば、それは「生きる」ためにどうすればいいかを想像することになる。
「生きる」を想像するということは、「計画」通りに動くことではなくなる。
その日、その瞬間の想像であり、判断となって行動していく。
 
「計画」をたてて、その通り行動するということは、その「想像」より、計画を優先し、判断は、「決めたから」と、目の前に危機が迫るまで考えないで行動してしまう。
たから、「計画」の人は、「危険」の判断に対して、「ありがとう」ではなく、「せっかく計画していたのに」と不満を言ってくる。
 
これは人生に似ている。
「生きる」とはどういうことか…
計画通り生きようとすれば、ひとつの計画が狂ったことで、すべてが終わったような、たったひとつの生き方しかないと思い込み挫けてしまう。
もしくは、「計画がくるったのはあいつのせい」と、人のせいにしてしまう。
 
だが、「生きる」とはそもそも計画はあっても、「今」を“自分”で生きることで、いくつもの道が見え、寄り道をしているうちに、その道がとてつもなく必要な道になってしまうこともよくある。
つまり、「生きる」に計画も答えもないということだ。
 
今回の旅は、高知で台風11号、12号の影響で総雨量1000ミリを遥かに超える、運転しながら今まで体験したことのない雨にも出くわした。
高速は通行止めになり、国道も通行止めと、高知から出る道はふさがってしまった。
 
継続的に大雨と普通の雨の繰り返しの高知の空を見上げる。
雲の流れを見ると、「室戸」に向かうといいかもしれないと、他県に向かう高速、国道は通行止めで出ることのできないので、通れる道で高知の中で移動することに決めた。
 
今回は室戸に向かう計画などなかったが、雲の流れから見ても、そちらへ走った方がいいと思ったわけだ。
ここに留まるより、室戸に向かった方がいいと判断したわけだが、向かっていて危険を感じれば、“そこにとどまればいい”。
そういうことだ。
 
海沿いの道を走り、室戸に近づくと雨はあがり、何と太陽まで出て来たではないか。
道路はすいている。
高知から出られないということは、入って来る人もいない。
 
人のいない室戸岬で、青い空が見えてきた海を見つめ、空海が、空海と名乗るもとになった、「御蔵人窟」でもひとり時間を過ごした。
空海が修行したその洞窟に座ると、そこからは空と海しか見えない。
まさに空海だ。
風の音、海の音、そして夏のセミの声が響く、まさに夏の時間だ。
 
そのまま海沿いの道を走っていくと、通行止めの国道をうまく脇道で越え、高知を、徳島を出てきていた。
 
旅とはそういうことなのだ。
空を見上げて、今日はどちらへ向かうか、その空で判断する。
「想像」を持って先へと進んでいく。
 
そういう生き方がおもしろい。
 
今回は太平洋と瀬戸内海、そして日本海をそれぞれ見てこようと、そういう思いだけで、あとはその日の気分で移動してきた。
三重の亀山からはじまり、淡路島、高知、高松、丸亀、善通寺、今治、岡山、京都、敦賀、新潟と走り、新潟でお盆もあり宿がとれなくなったところで東京へ戻ってきた。
ちょうど二週間の旅となった。
 
その日、その日の思いつきで走り、太平洋、瀬戸内海、日本海、それぞれのいい海と出会うことのできた旅だった。
 
つまりは、旅というのは、その人間がどういう生き方をしているのか、旅のやり方で見えてくるのかもしれない。
 
十代で自転車で日本中を走っていた夏からはじまり、日本国内でも、海外でも、この歳までずっとこういう旅をつづけている。
 
そして今年の夏もいい「旅」ができたということだ。

2014年07月29日


2014年7月29日
 
「心を開いて「Yes」って言ってごらん。すべてを肯定してみると答えがみつかるもんだよ」
ジョン・レノンのこの言葉が好きで、ずっと「心の言葉」としてきたんだ。
 
「Yes」と言っていたら、いろんな人に、いや、人だけじゃないな、「Yes」といって旅に出て、いろんな空や海、森や樹、山…生き物…街、村… あらゆるこの世に存在する森羅万象に出会うことができてると感じていてね。
もちろん、人が生きていて出会えるものって限りがあるけど、生きてることで出会えることに「Yes」と言おうと、そう思って生きてることで、「あぁ、そうなんだ」って、この歳になって感じてることがあるんだ。
 
「心」
 
ぼくは「見る」ということは、若いころ「目」で見ると思ってたんだ。
ノンフィクションなど、「見たままに書く」と、そんな気持ちで書いていたのだけど、実は心で見て書いていたんだよね。
写真だって同じ。
心で撮る。
音楽も絵も、心で見えて感じたものを、心から絞り出す。
 
欧州の考えだと、心は脳から発するものだという考えなんだけど、ぼくは身体のすべてから発するものが「心」だと思ってるんだ。
 
地球の80%が水でできているように、人の身体も80%が水でできている。
その水は、滞ってしまったら腐ってしまう。
だから地球の水が流れ続けている場所が生命に溢れているように、人も身体の中も、身体のすべて、滞らせることなく水が流れつづけることで生命力が高まっていく。
 
脳だけじゃないんだ。
身体のすべてが流れ続けることが、心には必要なんだと思うんだ。
 
ちょうど10年前に、20年ほど武術に惹かれ取材して、「東洋武術で生命力を高める」という本を創ったのだけど、あれから10年経ち、あのとき見えてなかったことが、また少しだけど見えてきているような気がしている。
 
ぼくはよく山へ登るのだけど、大木を見つけると必ず触れてみる。
樹に水が流れている感覚がたしかにある。
緑の鮮やかな葉に触っても同じ感覚を感じることができる。
自分の身体はどうなのだろうか…
 
ジョン・レノンの 「心を開いて「Yes」って言ってごらん」と言う言葉には、ぼくの勝ってな解釈なんだけど、「No!と言って遮断しないで、Yes!といって流れつづけなさい」という思いを感じてるんだ。
 
さぁ、この夏も、明後日からお盆まで真夏の旅で海や山、島、いくつもの空の下を流れつづけてきます。



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