思い立ったら日記 2016



2015年 2014年 2013年 2012年 2011年 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2005年 2004年〜

トップへ
戻る
次へ



2017年01月05日
2016年12月31日
 
「どうしたらプロとして生きられるのですか?」
学生にそういった質問をよくうける。
そのときぼくはこう答えることにしている。
「だれにでもできることを、だれにでもできないだけやる」
 



当たり前の答えだ。
「だれにでもできること」にお金を払ってまでほしいと思ってくれる人はいない。
「だれにでもできない」生き方をした者は、「だれにでもできない」「力」を身につけている。
「だれにでもできない」からこそ、人はお金を払ってまで、ほしいと思ってくれる。
 
たとえば、スポーツ選手ならば、「力」とは「生命力」だと思っている。
「だれにでもできることを、だれにでもできないだけやる」ということは、野球なら150`以上のボールを投げるためにどれだけのことを、どれだけの生き方をしてきたか。
1年や2年じゃない。10年以上の時間がなければ手に入れることのできない力だ。
その「だれにでもできないだけの」時間と背景があって、自分には、とうていその道を歩くことができないと、感動し、尊敬し、その生き方に勇気をもらう。
 
そして自分の道で、その選手の生きてきた道の「生命力」を生かしたいと勇気をもらうというわけだ。
自分はこの道ならば「だれにでもできることを、だれにでもできないだけやる」ことができると、人は「夢」を抱く。
 


「なぜ生きるのか」と問われれば、ぼくは「成長したいから」と答えるだろう。
生き物は必ず死ぬ。
だから死ぬまで成長したいと生きていく。
それが「生命力」ということだと思う。
 
生きていれば「苦難」の連続である。
でもそれを「苦難」ととらえず、「ここを乗り越えれば成長できる」と考えたならば、「苦難」があるからこそ、その「苦難」が大きければ大きいほど、また日々「苦難」であればこそ人より成長できる。
 
苦難はまさに「生きがい」なのかもしれない。
 
何かをやろうとすれば、当たり前だが「苦難」はグリコのおまけのように付いてくる。
何もやらないでいれば、たしかにさしたる「苦難」は付いてこないかもしれない。
だが、それで幸せなのだろうか。
「苦難」と闘う人生を生きた人と、逃げた人では、死ぬまでの成長がまったく違う道を歩くことになる。
 
2016年、自分に「だれにでもできることを、だれにでもできないだけやる」ことができたのか問う。
 
「Yes!」


2016年11月29日
2016年11月29日
 
もうずいぶん前、大学のある宇都宮から東京へ帰る車の中で、ちばてつや先生とこんな話をしたことがある。
 
学生たちの話をしているとき、「学生たちは将来ばかりて、みんな不安ばかり抱えているんだね」。
ちば先生はつぶやき、そして「人はだれでも不安だのにね」「ぼくだって不安はいつも持ってるからね」と言葉をつづけた。
 
「不安」があるから人は「今」を懸命に生きようとする。
だが、学生を見ていると、「今」ではなく、「将来」ばかり見て不安に感じているようだ。ちば先生は「なぜ学生たちは「今」を必死に生きないのだろう」「今、必死に生きたものだけが、あしたがやってくるのにね」。
「あしたのジョーですね」
ぼくはちば先生の言葉にそう応えた。
「そう、矢吹ジョーは「今」を必死に生きたキャラクターだったからね」
 そうなんだ。
あしたのジョーに夢中になったのは、だれもがあのマンガに夢中になったのは、間違いなく矢吹ジョーの「今」を、「今」だけを見て必死に生きている生き方に惹かれたからだ。
そういうことなのだ。
ジョーは目の前の「今」だけに生きていく。
 
ボクシングを通して目の前の「今」に出会い、力石徹という目の前の「今」に出会う。
その「今」を生きることだけ、「今」を生きることだけがすべての生き方で生きている。
だから、「今」生きるすべての力石が死んでジョーは、「今」を見失いボロボロになっていく。
だがまた新たな「カルロス・リベラ」という「今」が表れ、「今」を生きはじめる。
そして最強の「ホセ・メンドーサ」という「今」が表れることで、その「今」にすべてを賭けて「真っ白な灰」になるまで「今」を生きていくことになる。
 
矢吹ジョーは世界チャンピオンになるという「将来」を目指したのではなく、「今」をただ、「目の前の目的」のために、ただ「やるべきこと」だけを必死に生き、闘い、そして世界タイトルマッチまで行き着いた男の話だ。
 
人は「今」を必死に、懸命に生きて、ふと立ち止まり振り返ったとき、「あぁ、ここまできたんだ」と、それが「生きざま」のはずだ。
 
将来を生きるのではなく、「今」を生きる。
 
そして改めて子供の頃から夢中になった矢吹ジョーを考えてみると、ジョーは自分の「心」で生きた男だったと、年齢を重ねてはっきり見えてくる。
あきらめるということは、たとえば志半ばで「世界チャンピオンなんてまずなれない」と思ったとすれば、それは本当に世界チャンピオンになれなくてあきらめたのではなく、単に「心」があきらめただけのことだ。
人は「心」によって、「今」をあきらめてしまう。
 
ジョーは「心」であきらめなかった。
だから「真っ白な灰」という言葉がキャラクターから生まれたのだと思う。
 
「あしたのジョー」は少年誌で求められる「勝利」において、ライバルとして出てくる、力石徹、カーロス・リベラ、ホセ・メンドーサとだれにも「勝利」を納めていない。
だが、「勝利」を得られなかった矢吹ジョーに、だれもが夢中になった。
ライバルに「勝利」のない少年誌などまずありえないはずなのに…
 
この歳になって、やっと「勝利」の意味がわかった気がしている。
 
本当の勝利とは、「心を失わない」こと。
そういうことだ。
 

2016年10月31日
2016年10月30日
 
大学で無料配布している「図書館だより」という冊子がある。
大学の教授たちが中心に、学生たちも「思い」を書いている。
「図書館だより」という冊子のタイトルからわかるように、自分にとっての「本」に対する「思い」だ。
そこから原稿を頼まれ、「本」のことを考えてみた。
高校のとき、図書館で毎週7冊以上の本を借りていたのだから、単純に1年で350冊ほどの本を読んでいたことになるので、今は少し減ってはいるが月に10冊以上は必ず読んでいる。
まぁ、寝るときに必ず1時間ほど本を読んで寝るというのが、もう何十年もつづいているわけだから、考えたら万の数を間違いなく読んでいることになる。
 
そんな必ず毎日読んでいる「本」のことを、原稿の依頼を受けて考えてみた。
無料配布冊子に書いた原稿なので、その「思い」を書いた原稿を日記にも載せておく。
 
 

タイトル 一冊の本が「生きる」の入り口になる
 
人が生きるということは「何」がそうさせるのか?
ぼくは、人は死ぬまで、最後のその瞬間まで「知りたい」と思い続ける「心」だと感じている。
つまり、「知る」ということで、人は「成長」し、「生きる」という生命力が生まれてくる。
 
本というものは、生きるための「知りたい」の入り口である。
自分の人生を振り返ったときに、間違いなく、その「入り口」となった「本」が存在する。
 
いくつもある。
入り口となった本はいくつもある。
ぼくが自分の人生のバイブルとまで言っている本は、間違いなく小学校の5年(1968年)のときに少年マガジンに連載され、出会った「あしたのジョー」だ。
そしてリアルに、作家として大きな入り口となった一冊がある。
沢木耕太郎の「一瞬の夏」だ。
ボクシングのノンフィクションである。
天才と言われたボクサー、カシアス内藤と、数々の世界チャンピオンを育てたエディ・タウンゼントトレーナーが二人三脚で世界チャンピオンを目指す、その姿を、リアルタイムで追いかけていく。
夢を追いかけるボクサーとトレーナーと、その同じ時間、空間、空気感の中で日々を生き、その渦の中で、取材者である沢木耕太郎自身が、東洋ミドル級王座決定戦のマッチメーカーとして、そしてセコンドに立ちタイトルに挑んでいく。
ぼくがこの本と出会ったのは24歳のときだが、「こんな作家としての生き方があったのか!」と衝撃をうけ、そしてページをめくるドキドキ感は、いままで出会ったことのないものだった。
結果があって取材し、伝える作品ではない。
取材者の結果への歩みの中に、作家自身が身を置き、取材者と同じ汗をかき、そして取材者と同じ「覚悟」を持って生きて行く中でこの作品は書かれていく。
「あぁ…」と、そして「たまらん」と読みながら抑えきれない感情が湧いた作品だった。読み終えたあと、「知りたい」と思った。
作家としてもっともっと深く、「書きたい」と思う人間の奥の奥の奥まで、その呼吸の呻きまで知って書きたいと思った。
 
それから4年後、ぼくはひとりのボクサーと出会い、そのボクサーを知るために、生活のための最低限の仕事だけを受け、毎日、そのボクサーを見続ける日々を過ごした2年をおくることになる。
日々ボクサーの夢を追いかけた2年間。
追いかけていく日々で、ボクサーの夢が、自分自身の夢となったとき、呼吸の呻きまでわかるまでになっていく。
書きたいことはそのボクサーのことだけとなり、その思いを書き、撮り、描き、マンガ、グラビア、ノンフィクションとボクサーの生きざまを同時進行で雑誌、単行本、TVで作品も創っていく。
ボクサーの世界タイトルマッチのときは、そのボクサーとともに、ただ「がんばれ」などでは思いが収まらず、世界戦のポスターのイラストをジムから頼まれたことから、ボクサーとともに減量しながら、「リミットを切らなければ原稿料はいらない」と、ひとつひとつが、ボクサーとともに覚悟を持って生きることのできた時間だった。
そのボクサー、浜田剛史は世界チャンピオンになった。
 
その瞬間を思い出すと、いまでも身体が震え出す。
とてつもなく濃い時間をこの2年間で「知る」こととなった。
 
そうなんだ。
「一瞬の夏」から始まった「知りたい」の濃い時間である。
 
あれから数十年…沢木耕太郎の本を買うと、そこに書かれたエッセイとともに、ぼくが減量しながら描いた、世界タイトルマッチのイラストが描かれ、載っていた。

2016年10月03日




“生き残る種とは、最も強いものではない。
最も知的なものでもない。
それは、変化に最もよく適応したものである”
 
ダーウィンの言葉である。
 
今月の19日、つくば国際会議場で行われたTGSWセッション(世界中からの研究者が集まっての研究会)に呼ばれて、車でつくばへちばてつや先生と向かっているとき、先生がこの言葉をふっとつぶやいてきた。
 
そうなのだ。
今は時代の変革のときである。
いままでの常識がことごとく覆されてきている。
 
マンガだって、マンガは冊子で読むものという常識など、ここ10年でまったく変わってしまった。
つまりは常識に囚われていたら、「今」できる創造の可能性を否定してしまう。
ダーウィンは200年前に生きた自然科学者なのだが、この言葉は最近で言えば、スマートフォンを思い浮かべてもらえれば「その通り」と頷いてしまう。
 
iPhoneが生まれてからまだたった10年である。
そう、たった10年でiPhoneは時代の中心になっている。
もっと言えば、アップルとグーグルの時代になっている。
その変革の中にぼくたちはいる。
 
ならば変化に適応するとはどういうことか。
スマートフォンの中のアプリが使えるようになるという適応性などではない。
スマートフォンという表現を広げた「モノ」で、新しい表現を生んでいく力。
それが変化にもっともよく適応するということだ。
時代に使われるのではなく、時代を創っていくものが生き残るということだ。
 
ぼくは今、時代の変化の中で、デジタルの中でいろいろなものを生み出そうともがいている。
今だからこそできる、時代の創造。
かといってデジタルですべて創ろうという考えではない。
デジタルで創れないもの。
たとえば自然である。
 
いままでは「便利」という人間の傲慢で自然を壊してきた。
道路を作るために、何百年、何千年の自然を潰してきている。
その自然はデジタルでは創れないし、何百年の樹は、何百年の時をえなければ育たない。
 
自然をそのままに…
いや、自然の中で生きていくためにデジタルを利用するのが、今の時代なのではないだろうかと、ぼくは考えている。
 
今、自然の溢れる栃木の那須で進めていることがある。
自然があり、その自然の中で命を感じさせてもらえる天地がここにはある。
 
その天地を感じてもらうために、今、研究、開発している自然の中で息づく「マンガ」でいくつか考えていることがある。
 
世の中の変化の中で、その技術が生まれてきた中でからこそ、自然を壊さずに、自然の中で生きて行ける生き方。
 
この日記でも何度も書いてきた、ioT、AR、AIがキーワードの、そこにマンガのキャラクターで“心”をつないだシステムだ。
 
まだまだ表に出すまで書けないことだらけなもので、具体的な形は書けないが、とにかく今は、変化に最もよく適応した、「今」「ここ」で生きているおとを考え、創作な日々を送っているということだ。

2016年08月30日
2016年8月30日
 
今年も高知で毎年行われる「まんが甲子園」に車で行ってきた。
 
東京への帰り道は、その日の気分でハンドルを切り、海へ向かったり、山へ向かったり…
初めて見る自然の風景であったり、初めての街との出会いの毎日。
もう何年も車で向かう高知は、ぼくにとっての夏の旅になっている。
 
旅と言えば旅に出るとき、ぼくのカバンの中には数冊の本が入っている。
それとともに、ドキュメンタリーや映画を録画したままでまだ見ていない作品を、DVDに焼いて、それも旅の友としてここ数年持ち歩くようになった。
 
車で旅に出た場合、実はノートPCを3台車に積んでいる。
仕事に関する用途で使い分けているそれぞれのPCだが、PCを持ち歩くようになってから、旅先で寝る前に本ではなく、DVDを見ることも多くなった。
 
旅先では本にしろ、DVDにしろ、日常とは違った環境も手伝ってか、自分の中に響く作品との出会いがある。
 
今回は「NHKスペシャル、ミラクルボディの義足のジャンパー」だった。
右足が義足の走り幅跳び選手であるマルクス・ムーアは、去年の障害者陸上世界選手権で、世界新記録8メートル40センチを跳躍、ロンドン五輪の金メダル記録を超えた選手を取り上げてのドキュメントだった。
 
リオのオリンピックを目指すが、義足がジャンプに有利に働くのではないかと、オリンピック出場は叶わなかったが、このドキュメントでは、科学でトップアスリートと比較し、ムーア選手の肉体が健常者の肉体をも超えるとともに、体の一部を無くしたことで発達した知られざる筋肉。
さらに健常者には見られない脳の働き。
義足を体の一部のように操る未知の能力の開花と、まさにミラクルボディを証明していく。
 
健常者の肉体を超える筋肉を創り上げるためにどれぐらいのことそしてきたか。
身体の一部を無くした、それを補うためにつくられた筋肉、そして脳の働きとともに、人間の可能性を見せていく。
まさに人間の限界を超えた肉体を創り上げたからこそ見えてくる凄み。
 
ムーアが番組の最後あたりでこういった言葉を語っている。
「困難な状況は強くなるチャンスかもしれない」
「ぼくはそこから何かをつかみたい」
 
あぁ…と思う。
まさにそうなんだ、「困難」は自分が強くなるチャンスなんだ。
言葉が心に響く。
 
そしてムーアは言葉をこうつづける。
「どこまでも遠くへ飛びたいんだ」
「ぼくの肉体の限界がどこにあるのか知りたい」
「限界に辿り着くまで挑みつづけたい」
 
人はだれでも自分の限界を知りたいと思っているはずだと感じている。
生まれた赤ん坊は、すべての時間を成長するために生きようとしている。
自分の可能性を探り、とてつもない早さで進化していく。
それが本来の「生命をもつもの」の本能のはずである。
 
アスリートに限ったことじゃない。
マンガを生み出すもの。
芝居を演じるもの。
AIを研究するもの。
自分のまわりにも、自分の限界を知りたいと「困難」に立ち向かっている人たちが何人もいる。
 
果たしてぼくはどうなのか。
 
答えは簡単だ。
「困難な状況は強くなるチャンス」
 
瀬戸内海の海を見ながら、自分の目の前の「困難」は、自分が強くなれるチャンスなのだと。
 
旅先で出会った、ひとつのドキュメントから力(チャンス)をもらえた、旅の途中の夏の記憶。



トップへ
戻る
次へ