思い立ったら日記 2015



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2015年11月26日



2015年11月26日
 
「この世界には答えなんてものはない」
いつも学生たちに言っている言葉だ。
だからいつも、「ぼくはこう思う」と、どんなときにでも自分の言った言葉のあとにそう付けて答えるようにしている。
 
これは大学の教授をやっているちばてつや先生も、「ぼくはこう思う」という言葉をいつも付け加え学生たちに話している。
 
ちば先生と「この世に答えなんてものはない」ということを、大学へ行きはじめたころ、車の中で話したことがある。
「人は誰かに答えを教えてもらおうとしている限り、本当の答えはみつからないということをみんなわかっているのかな」
 
そう、「大学とは」という話をしているときだった。
「大学というのは、高校までとは違って、教えられるのではなく、自分で何を学ぶか、自分で考え、自分で行動し、自分で自分の答えを探すところ」
 
つまり大学とは、学校ではなく、もともと研究機関なわけだから、先生も学生も、答えのない世界で、答えを探し、研究する場所だということだ。
 
大学へ行きだして10年になろうとしているが、ずっとそのことは考えてきている。
 
ちょうど一年ほど前の日記で、「大学でマンガとは」の自分で考えて、行動し、研究してきたことでの、「自分はこう思う」ということを日記で書いている。
 
あれから一年、時代がどんどん変わろうとしている。
大学でマンガを研究する意味がはっきりと見えている。
もう、20年以上も前から言ってきたことだが、マンガはあらゆる世界とコラボできる、そしてあらゆる媒体の中で生きていくことができる。
最初はだれからも相手にされなかったが、いつのまにか、自分のまわりには、同じ思いで動いてきた、創りつづけてきた作家が集まってきてくれている。
それとともに、学生からも、マンガを新しい世界で表現しようと試みる若い力も生まれてきている。
 
11月15日に東京ビッグサイトで行われた「海外マンガフェスタ」では、姫川明輝先生、そして卒業生でゼミ生の佐藤静香さんが、世界でもまだだれもやっていない表現の「モーション・マンガ」をステージで発表することができた。
某国営TV局も興味を持ち、ぼくたちの動向を追いかけてくれている。
ステージから下りたとき、姫川先生と、「個」が何億もの資金を持つ企業と闘える時代がきたね」と、そんな話をした。
 
そう、作家という「個」が、自分から直に世界に向けて発信できる時代が来たということだ。
 
海外マンガフェスタの会場で、文部科学省で進めている人材育成プロジェクトの委員長、中村伊知哉先生からも、ぼくが発言した「ioT(モノのインターネット)の中で、マンガはあらゆる可能性を秘めている」という言葉に、「そのとおりだ」と嬉しい賛同の言葉をもらった。
 
アップル・コンピューターのスローガン、「Think different」(ちょっと違った考え方をしてみる)という言葉は、ぼくの中では大きな言葉となっている。
 
ほとんどの人は固定概念に縛られている。
たとえばマンガならば、紙媒体で読むものがマンガと言って、マンガの作り方はこうしなければいけないと答えを言ってくる。
 
答えなんてあるわけがない。
固定概念を振り払えれば、マンガは宇宙が膨張するように、あらゆる可能性を持って膨張していく。
 
「この世界には答えなんてものはない」
だから今の自分に、今のまわりのすべてに疑問を持ち続け生きて行く。
今の自分に、今のまわりのすべてに決して慣れることなく生きて行く。
 
「Think different」
そこからぼくは「自分だけの答え」を探している。

2015年10月27日





2015年10月27日
 
夜中。
大学の研究室で(今日も)机に向かっている。
ずっと机に向かっていると「旅」に出たくなる。
 
旅というやつは、「出会い」だと思っている。
人との出会いもあるが、海との出会い、樹との出会い、山との出会い、森との出会い、街との出会い…
旅を続ければ、旅を続けただけの出会いがある。
 
そう考えると、忙しい、忙しいと毎日、仕事に飛び回っているのだが、毎日のように出会いがここ(仕事)にもある…
そうか、こうやって机に向かっていることも「旅」だと思えばいいのだ。
 
エイベックス・グループ・ホールディングスの創業者であり、代表取締役社長、松浦勝人さんがニッポン放送でやっている番組。
『max matsuura 仕事が遊びで遊びが仕事』
このタイトルが気に入っていて、ぼくはいつも、「仕事が遊びで遊びが仕事」と口癖のように言ってきていたのだが、 今日から「旅する仕事」を口癖にしてみよう。
そう、「旅する仕事」だ。
 
旅というやつは、計画を立てて向かったら何もおもしろくない。
たとえばぼくは、日本でも海外でもまずホテルはとっていかない。
現地で探すところから始めるのだ。
「チープホテル」「チープホテル」と安いホテルを探し歩き、ときにはダマされそうになったり、陽が暮れてもホテルが見つからないときは不安になる。
カメラなど提げていると、それを盗もうと、何度も襲われそうになったりもした。
だがだ、旅の途中では「やめた」と、あきらめるわけにはいかない。
海外でいえば、ホテル探しをあきらめて、ひとり野宿などして、寝たところを強盗に襲われることだってリアルに当たり前にあることだ。
つまりは、大げさに言えば、ホテルひとつ探すことも、「死」を感じながら、あきらめることが許されない状況で行動するわけである。
 
すると、ホテルが見つかり、大きなリックと、10キロ以上あるカメラ機材を肩から下ろし、ベッドにダイブしたときの喜び。
これがたまらないのだ。
「今日も生きて眠れる」という気持ち。
こんな最高な気持ちを味わえるというのに、ホテルを取って旅をするなど、その時点で旅の、とてつもなく大きな喜びをひとつ失っているとぼくは思っている。
 
旅というやつは、そうやってホテルもその日に気に入った地で探し、起きたら、気の向いた場所へと進む。
すべての時間を、計画ではなく、旅だけの時間で、その中でいくつもの出会い、それをぼくは「縁」と呼んでいるのだが、偶然の出会いで生きて行く時間。
それがぼくにとっては「旅」といえるものだ。
 
こういう「旅」をすれば、もちろん計画をまったくたてないわけだから、いろいろなことが降りかかってくる。
三十数年前など、中国で日本へ帰れなくなったこともある。
だがだ、だが、それが面白いのだ。
降りかかってくる予想もしない事柄を、楽しめるか楽しめないかで、その旅はまったく違ったものとなってしまう。
 
中国から出られなくなった期間は、二週間ほどだが、政府機関に職業を尋ねられ、「もの書きだ」と言うと、中国の政府の人に、日本人が入ったことのない場所をいくつか取材として連れていってもらうことができた。
パンダを抱かせてもらうことから、歴史的な地まで、今、考えても、中国から出られなくなっているというのに、毎日がワクワクの日々だった。
その時の写真と記事は日本へ帰ってきたとき、「だれも知らない中国」の大スクープとして「サンデー毎日」に大々的に掲載されている。
実に楽しい「旅」のひとつになった。
 
旅に出たら仕事になったわけだから、今、こうやって机に向かっていることを「旅」ととらえるのもいい考えなのかもしれない。
計画などない、「今」を必死に生きる旅。
予想もしない、明日に出会えるのが「旅する仕事」というわけだ。
 
さぁ、机の前で、いくつ言葉や考えと出会えるか…今日も徹夜で旅する仕事だな。

2015年09月29日



2015年9月29日
 
禅の考えが、自分の中で軸となっている。
その禅の「軸」の言葉。
「即今(そつこん)・当処(とうしょ)・自己(じこ)」
「今、ここで私が生きる」ということだ。
 
宇キ宮の大学へやってきて、ものを創るようになったとき、「即今(そつこん)・当処(とうしょ)・自己(じこ)」を考えた。
 
大学では、先生も学生たちもみんな「東京」を見ている。
宇キ宮、いや、栃木というプラットホームがあるのに、なぜ東京のプラットホームにみんな乗ろうとしているのか…
ましてや東京のプラットホームは、まるですし詰め満員電車状態ではないか。
 
「今、ここで私が生きる」場所として栃木で足元を見る。
栃木のプラットホームは、ほとんどだれも立っていない「競争」ではなく、「創造」していける場所…
東京にはない、30分も車で走れば大自然の中に身を置ける、自然の中で「創造」できる最高のプラットホームではないか。
 
大学で栃木に来るようになってちょうど10年になる。
栃木というプラットホームで「創造」を始めたことで、とにかくいくつものことを成し遂げてきたと思う。
もちろん、そこにはちばてつや先生がいてくれることで、この場所で、全国に向けて、そして世界へも向けて、マンガ、イベント、3D、モーションコミックなど、東京ではなく、この地から最前線の「創造」ができていっている。
 
今、ひとつの大きな「夢」に向かって動き始めていることもある。
某限界集落で「街」をつくるという「夢」だ。
市は動きだし、県、そして国も興味を示し流れが少しずつ大きくなっていっている。
今日も市長と話しをしてきた。
 
その街は自然に溢れた中での「創造」、アーチストの街だ。
自然の中に街を創るのではなく、あくまで自然が主役で、そこで生きて行く街。
 
今の時代はそれができる時代になっている。
「個」のプラットホームから、世界へ発信できる時代。
 
デジタルといったら、みんな冷たいイメージを持っているようだが、「即今(そつこん)・当処(とうしょ)・自己(じこ)」を可能にすることのできるものだと考えている。
 
ぼくは今、デジタルで創作する作家だと思われている。
でも本当は違う。
デジタルはあくまで道具で、「作業」をデジタルに任せているだけなのだ。
「作業」をデジタルに任せることによって、デジタルではできない、「心」に集中できる。
創作はあくまで「心」なのだ。
 
「今」を生きるために、「今」を大事にするために、「作業」はデジタルに任せ、「今」の「心」だけに時間を費やすことができる。
 
栃木へやってきて、そのことがハッキリ見えてきている。
発信するために、東京に住む必要なんかない。
自分が創ろうとしている空気の中、リアルの中から「創造」は発信できる。
 
自然を伝えたいならば、自然の中で生き、その心で感じた、「今」の「心」を伝えればいいだけのこと。
 
「即今(そつこん)・当処(とうしょ)・自己(じこ)」の生き方。
 
そうだ、アップルの設立者、スティーブン・ジョブズも「禅」の心を持って、アップルが世界を変えたのだ。

2015年08月31日






2015年8月30日
 
夏になると、四国の高知での「まんが甲子園」へ車でひとり向かうと決めている。
そう決めて8年目。
 
「まんが甲子園」で用事を終えた高知から、行き先を決めない「旅」がはじまる。
そう、どこへどう向かうかは旅の途中で考える。
たとえば、太平洋が見たい、瀬戸内海が見たい、日本海が見たいといったように、心が動いたところへと心のままに向かう旅だ。
 
宿は陽が暮れてきたら、夕陽の中で「今日はここまでだな」と探し始める。
この旅での自分の決めたルールはたったひとつ。宿がとれなくなったら東京へ戻るというルールだけ。
 
7月末からの旅なので、だいたいお盆前の12日あたりに宿がとれなくなることはわかっている。
だいたい二週間少しの旅をこの8年間、夏になるとやってきているというわけだ。
 
今年は陸路だけでなく、四国をまわった後、四国を離れるとき、大橋ではなく愛媛の八幡浜からフェリーで九州、大分の臼杵に渡ってみた。
臼杵は初めての地だ。
臼杵の磨崖仏はずっと気になっていた国宝だったのだが、やはり本物を見ると驚愕。
夏の眩しいほどの光の中、ほとんど人もいなくゆっくりと石仏を見てまわり、静かに心と会話のできた地だった。
 
九州の湯布院では、西伊豆で世話になった大将が店を出していることもあり、約十年ぶりの再会の地となった。
大将も町おこしで現在湯布院で動いていることもあり、湯布院の「観光地」ではなく「自然」を案内してもらい、何かいっしょにできるのではないかと、いろいろ地域の人たちとも大将の店で語り合った。
今、日光を中心に動いている、ぼくのの大きなテーマである「自然の中で生きる」が、湯布院ともつながるかもしれない。
 
広島にはやはり行かなければならない。
広島は自分が育った地とともに、自分が生まれる12年前に落とされた原爆のことを、この地で育ちながら伝え切れていない自分の歯がゆさ。
平和公園を何時間も歩き、何度も祈りを捧げた。
 
その広島市内、近辺では宿がとれなく、やっととれた福山では、鞆の浦という、今回の旅で最高の瀬戸内の港町と出会うことができた。
ここへはまた行くことになるだろうな…
 
京都でも同じだ。
京都近辺で宿を探したがまったくなく、草津あたりまで探しても見つからず、やっととれたのが大垣だった。
大垣は、ぼくが10代のミュージシャンをやっていたころ、東京から京都へ戻るとき、新幹線代をうかすために、東京〜大垣行きの各駅停車の深夜電車によく乗っていた。
終点の大垣は、いわば、青春の各駅停車の思い出の地でもある。
とはいっても、大垣はただ、京都へ向かう各駅停車の電車に乗り換えるだけの場所。
何度も行っているにかかわらず、その地を歩いたことがなかった場所だったが、水の湧くとてもきれいな地だった。
 
はじめて歩く「地」だのに、10代のギターケース何台もかついで京都と東京を行き来していた記憶が蘇ってきた。
 
大垣からは長野へ向かい、そして宿がとれなくなった夜、アルプスを見渡せる温泉に入り、諏訪湖の花火を見て東京へ戻ってきた。
花火の一瞬の輝きが、旅の終わりの心には染みる。
 
13日間の旅だった。
 
一日も雨に降られることもなく、毎日が真夏の太陽の下、「地」「景色」「人」「海」「森」「樹」「街」「匂い」…はじめての出会いがいくつもあった。
 
旅はよく人生に例えられることがある。
当たり前のことだと思う。
 
「生きる」ことは「旅」することなのだから、そんなことは当たり前のことなのだ。
その「旅」をどう生きるか。
 
ぼくは旅をこうとらえている。
「目的」に向かい到達することが「旅」ではなく、「目的」への到達のために「向かう」ことで、いくつもの出会いがある、そのプロセスこそが「旅」だと思っている。
 
人生も同じ、目的、到達は結果であって、そこへ前を向いて歩き進むことでの出会いが、「生きる」ことだと。
 
そう、旅はいい。

2015年07月30日





015年7月30日
 
今年も夏の旅に出る。
毎年、高知で行われる「まんが甲子園」に合わせて、車で西へと2週間ほどひとり旅に出る。
たとえば昨年なら、太平洋、瀬戸内海、日本海の海沿いを走ると決めて走った。
そして宿が取れなくなったとこで東京へ帰ってくる。
 
今年は四国、九州、本州を自由に旅をして、いつものごとく宿がとれなくなった時点で東京へ帰ると決めている。
この「宿が取れなくなる」というのは、前日に行き先を決め宿をさがし取るので、お盆前のだいたい、12日か13日になると宿がとれなくなるということだ。
もし、お盆まで宿が取れれば、旅はお盆までもちろん旅はつづける。
 
今、頭の中には、いくつか向かおうと思っている「地」はあるが、その日の気分でどうなるかはわからなく、海へ向かうのか、山へ向かうのか、川へ向かうのか、森へ向かうのか、街へ向かうのか…それが旅だと思っている。
 
旅の出るには大きなエネルギーを使うことになる。
だが、エネルギーというのは、使わなければ、新たにエネルギーを得ることはできない。
 
ぼくは旅のような人生を生きたいといつも思っている。
旅というのは日常ではなく、「非日常」である。
繰り返しの日々でない生き方。
 
繰り返しの日々の中に入れられると、ぼくは不安になってしまう。
何か閉じ込められた気持ちになって、外へ飛び出したくなるのだ。
 
それは、エネルギーを使い、エネルギーを得るという、その両方の自分の持つエネルギーのふところの大きさが小さくなっていく不安だと、そう心が言ってくる。
 
だから日々旅のように生き、夏は10代のころ、日本中を自転車で走っていたような旅に、未だに出てしまうというわけだ。
 
さぁ、明日から「夏の旅」だ。



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