思い立ったら日記 2014



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2014年07月01日
2014年6月30日
 
「どうにかなるさ」
いつも思ってきたことだ。
遊びも仕事も、そして旅も、このまま歩き続ければ「どうにかなるさ」と生きてきたように思う。
 
だが、学生と話していて、ぼくの言う「どうにかなるさ」と、学生の思う「どうにかなるさ」はどうも違うらしい。
 
それが世代なのか、一般の人はそう思っているのか…
学生から感じる「どうにかなるさ」は、「まぁ、出たとこ勝負で“どうにかなるさ”」という“根拠のない”「どうにかなるさ」の行動のように思えてならない。
 
ぼくが学生と同じ歳のころ、つまりは39年前だが、そのころ音楽をやっていて、プロの世界を当時同じ事務所にいた、ミュージシャンの河島英五さんから見せつけられ、つまりはプロとは「生きる覚悟」と教わったと思っている。
 
86ヶ所、英五さんの前座としてツアーをやり、そこで毎日見てきたこと。
ひとつひとつのステージに立つとき、「どうにかなるさ」と出て行く。その「どうにかなるさ」の後ろには、「どれだけのことをやってきたか」がちゃんとある。
今まで何万時間を音楽に費やし、志すライバルの何十、何百倍の努力をしてきたか…
いや、努力とは違う。
寝るのを惜しんで頑張るのが「努力」なら、寝るのを忘れてやりつづけるのが「生き方」なわけだから、何十、何百倍の生き方をしてきたかということだ。
つまりは生き様だ。
 
これは後に、浜田剛史をはじめ、世界のトップで闘ったスポーツ選手、ミュージシャン、作家の友人たち、すべて、人の何十倍、何百倍の「濃い」生き方をして、120%のことをやった上で「どうにかなるさ」と挑む、それが「どうにかなるさ」という思いだと思ってきた。
 
「どうにかなるさ」が、“これだけ、命を削ってやってきたのだから”「どうにかなるさ」と、“何もやらないで”「どうにかなるさ」と思っているのでは、当たり前だがぜんぜん違う生き方になってしまう。
 
大木は、その見えている幹の何倍もの根を地に張っている。
その深い根がなければ、大木は生きていくことはできない。
何年もかけての太い根があってこその「どうにかなるさ」なのだと、生きるものすべてに言えることなのかもしれない。
 
この「どうにかなるさ」がわかっているものが、生き方において本気で生きているということにつながると、もちろん、それが答えではないが、今度、学生たちにちゃんと話してみようと思っている。

2014年06月02日


2014年5月31日
 
「タオー老子」という素晴らしい本と最近出会った。
二千五百年前の道教、老子の言葉を、詩人・加島祥造が今の言葉として、詩で伝えてくれる本なんだ。
その二十五章にこんな言葉が書かれている。
 
 
【“「大いなるもの」は帰ってくる”】
 
【タオは天と地のできる前からである。
その状態は
あらゆるものの混ざりあった混沌(カオス)だ。
そこは
本当の孤独と静寂に
満ちていて、すべてが
混ざりあい変化しつづける。
あらゆるところに行き渡り、
すべてのものを産むのだから、
大自然の母と言ってよいかもしれぬ。
 
こんな混沌は名づけようがないから、
私は仮に道(タオ)と呼ぶんだが、もし、
この働きの特色はなにか、と訊かれれば、
「大いなるもの」と応えよう。
 
それは大きなものだから
遠くまで行く。
遠くまで行くから、
帰ってくる。
 
このタオの偉大(グレートネス)さを、
受けついだ天は偉大(グレート)であり、
それを受けた天地は偉大なのだ。
 
その天地にいる人間だって、
タオにつながる時は偉大なんだよ。
だってその人は
大地に従って生きるからだ。
大地は天に従っているし、
天は道(タオ)に従い、
道(タオ)はそれ自体、自らの動きであり、それこそ
最も大いなる自然と言えるんだ。】
 
 
いやいや、この感覚…
この「大いなるもの」というのは、言葉じゃ表せない、生きていることで感じる、すべての感覚。
言葉や絵でも伝えることのできない…
ほら、あるよね。
宇宙を感じる…あの感覚。だが、自分の感じる宇宙は伝えられない。
森羅万象と感じる…あの感覚。だが自分の感じる森羅万象は伝えられない。
 
この感覚をどう伝えればいいのか、ずっとわからなかった感覚。
でも、「あぁ、これだ」と思う出会いがあったんだ。
 
石裂山の「千本かつら」と昨年春に出会い、もう何度もこの木に会うために石裂山へ登った。
山の峪で千年以上生きている、その前に立っていると、自分のあらゆる感覚がざわざわと騒ぎ出す。
それとともに、木がざわざわと、揺れてもいないのに、揺れてみせる。
 
その千本かつらの木が、今月、石裂山へ会いにいくと、とてつもない生命を発している。
千年の樹というのは、つまりは老人の樹で、その年輪を、その年輪の重さを感じるパワーを感じてくる。
千本かつらも、昨年、今年と何度も会いに行ったのだが、まさにその年輪のパワーを、生きてきた大きな重さを感じる木だった。
 
だけど、この春、まるで山が怒ったのか、石裂山の木々が、大魔神が山で暴れたあとのような、木々が倒れ、山の入り口の神社も、石の鳥居も潰された状態になっていた。
 
雪と風、そして雨、またその雨が凍り、山が壊れたと言われているが、その壊れようたるや、すさまじいものがあった。
そのとき、必死で千本かつらまで向かおうとしたが、倒れた木々にはばまれ、たどり着けなく、千本かつらは無事なのか、山の倒れた木々のように倒れてしまったのではないか…心配だった。
 
だが、道が通れるようになり、千本かつらに会いにいったとき、まわりの倒れた木々の中、枝一本折れていない千本かつらが、峪の中、大きく、ただ大きくそびえたっていた。
 
そして先月、千本かつらに会いにいくと、信じられない光景が目の前にあったのだ。
 
老人の木であるはずの千本かつらが、黄緑色の輝く葉を一面にまとい、まるで生まれ変わったように緑の、それも若い緑の木になってそびえ立っている。
 
あぁ、と思った。
千本かつらの周りの木が倒れ、峪まで太陽の光が差し込んでいる。
もう、何百年も陽が当たらなかった木に、陽が当たることによって、新たな生命が生まれたということなのだ。
 
これが生命であり、これこそが「大いなるもの」。
 
ちゃんと伝わってくる。
あぁ、「大いなるもの」とはこういうことなのだ。

2014年04月30日

2014年4月30日
 
瀬戸内海の豊島に、豊島美術館という美術館がある。
瀬戸内の海に浮かぶ、緑の島にポツリと落ちた、そんな水滴をイメージした、自然と一体になった美術館だ。
昨年の夏に、瀬戸内国際芸術祭でその美術館に行ってきた。
 
美術館といってもそこに展示物はない。
白いドーム型の建物に二つの大きな穴が開いている。
床は水をはじく素材が使われていて、その床では水滴が風に揺れて様々な模様を創っている。
そう、その風は二つの穴から海の潮風、島の緑の風がドームの中を吹き抜けているのだ。
 
風の音が聞こえる。
海の音が聞こえる。
木々の揺れる音が聞こえる。
 
一瞬、一瞬が二度と訪れない時間が豊島美術館に流れている。
 
そのとき、「時間は命」という思いが強くなった。
自然の時間はすべての存在に命があり、そして時間を過ごしたあとに必ず死んでいく。
 
あのときからかもしれない。
 
大学から少し車で走れば、大自然が広がっている。
時間が空けば、その自然の中で考える。
学生と語り合うのも、ペットボトルを手に自然の中を歩きながら語り合う。
 
豊島の美術館は、一瞬で消えていく自然の瞬間こそが、心を、生きているという命を感じる心を与えてくれると教えてくれた。
 
だから山へ行く。
森へ行く。
 
木々を抱きしめ、沢の水の音を聞き、そして触れて飲む。
あぁ、冷たいと感じる。
 
風がいろいろな木々の匂いを運んでくる。
肌に触れる。
あぁ、気持ちいいと感じる。
 
そういうことなんだ。
 
ここでいいんだ。
 
大学に自分の研究室があり、学生のたまり場になっているが、この山の中、森の中も自分の研究室でいいのだ。
 
そこで語り、考え、空を見上げる。
 
とてつもなく忙しい日々がつづいているが、そこで考えればいいだけのことなのだ。
だからね。
自分のゼミの何人かの学生たちは、机の下に、山へ行く、森へ行く着替えと靴を隠している。
みんなちゃんとわかっている。
 
美術館に自然があるように、自然が研究室で、それでいいんだ。

2014年03月31日
2014年3月31日
 
大学の研究室で原稿を書いている。
今、春休みということもあり、だれもいない静かな大学を独り占めにしてNeilYoungの「Comes a Time」を流しながら、窓の外の雲ひとつないを空を前に、研究室に閉じこもって机に向かっているというわけだ。
 
考えてみれば、大学へ行くようになって7年目に入ろうとしてるんだよね。
 
8年前、ちょっとしたことがきっかけで、ほとんど注目されていなかったケータイで見せるマンガを創り、(まだスマートフォンなんてなかったんだよね)auとSoftBankから配信してたんだ。
ケータイでその機能を生かして創る、そういう形でオリジナルのマンガを、世界で最初に創っていたこともあって、京都の精華大学と、宇都宮の文星芸術大学から、デジタル制作の必要性もあり誘われたんだ。
でも、大学でマンガをというか、まずデジタルにしてもマンガを創るのに答えなんてないわけだし、大学でマンガを教えることなんてできないと思っていたのだけど、ちばてつや先生に「教えるのではなく、大学で学生たちといっしょに創ったらいいよ」と言われ、「それならできるかもしれない」と、それで始めることになって7年というわけなんだ。
 
7年を振り返ると、実を言うと、大学に来たことで学生の何倍もいろいろなことを「知る」ことができてるんだよね。
人は死ぬまで「成長」したいと日々を生きていくわけだけど、その「成長」とは、「知る」ことだと思うんだ。
知識も経験、旅も創作、あらゆることすべて、人は「出会い」や「知る」ことで、知る前と、知った後では自分の生きている世界で見えるものが違ってくるからね。
それが成長なわけで、だから人は死ぬまで「知りたい」という思いで生きていくと思うんだ。
 
大学のある宇都宮へ来たことで、いろいろな街を知り、そこで生きるいろいろな人と出会い、山で囲まれたこの地の山にも登り、川や森へも行き、いくつもの「知る」と出会っていてね。
 
また大学へ来たことで、マンガのことも自分の中で考えて、考えて、マンガを学ぶことが何なのか、自分なりに少し見えてきたこともあるんだ。
 
学生たちはマンガ家になりたいと大学へ来るのだけど、マンガだけで食べれる人は、プロのミュージシャンや役者…自分に才能で生きているすべてに言えるのだけど、プロの中で95%はそれだけでは食べてはいけない厳しい世界なんだよね。
 
つまりは「マンガ家」は職業ではないと思うんだ。
ミュージシャンも役者も、それは職業じゃないよね。
だったらマンガ家、ミュージシャンたちは何なのかと問われれば、「生き方」だと思うんだ。
「マンガ家」という生き方。もちろんミュージシャンという生き方、役者という生き方とあるわけだけど、自分がマンガを描くことで、創ることでいろいろなことを「知り」、「成長」していく「マンガ家」という生き方だね。
もちろん5%のマンガ家は、それだけで生きていけることになるんだけど、あとの95%は、働きながら自分の作品を描き、それだけで食べられなくても、売れたいという思いだけでなくて、マンガを描いていきたいという思いから作品を創りつづけていると思うんだ。
 
だから、「マンガ家になる」ではなくて、「マンガで生きる」と考えると、突然宇宙が目の前に広がったように、いろいろな生き方が見えてきたんだよね。
 
マンガという表現で伝えるというのはとてつもなく大きな武器で、マンガは何とでも、この世そすべてと組める(コラボできる)表現法で、デジタルになったことで、たとえばミュジシャンやアパレルデザイナー、声優などとも組んで新しい表現を創ることができるし、マンガによって街を創ったり、オリンピックのようなイベントだって、マンガを使って新しい発想でいろいろなことができるからね。
 
大学へ来たことで、行政や国の大きなプロジェクトに呼ばれ、実現に向けて話し合う場に参加させてもらったりもしてるんだ。
そういう中で考えていくと、「マンガで生きる」という発想と考えを持つと、一気に今までのマンガの常識の枠から飛び出すことができてるだろ。
 
大学へ来て、いろいろな世界の人と出会い、そのいろいろば世界の人もマンガで育ち、だから、そのいろいろな世界の人たちはマンガと聞くと目を輝かせてくる。
だからマンガの発想を持って、いろいろな世界の中にマンガが入っていき新しい「何か」が生まれていく。
こんなおもろいことはないし、大学へ来たことで「創作」の可能性が無限に広がってきたことだけは間違いないな。
 
つまりは、人って毎日「知る」ことで、死ぬまで「成長」しつづけることで、いくらでもおもろいことが始まるってことだけどね。
 
そんなことをだれもいない春休みの大学で思った、真っ青な空の広がる昼ののどかな月曜日。
 

2014年02月28日
2014年2月25日
 
卒展が終わり、まったりとした大学の午後。
研究室の外は喧噪はなく、静かな大学の時間が流れている。
そんな研究室にチラホラ学生が訪ねてやってくる。
 
研究室で卒業を控えた学生の言葉を聞きながら、みんな「不安」いっぱいなんだな…と感じてる。
まぁ、ぼくにしても不安はいつも持っているんだけどね。
でも、不安って、考え方ひとつでぜんぜん違うものになるんだ。
 
たとえば、よく学生が言うのだけど、「知らないところへ飛び込むことが不安だ」って。
でも、知らないところへ飛び込むということは、「今までしらなかったことを知ることができる」わけだよね。
成長って、まず「知る」ことだと思うんだ。
つまりは、知らないところへ飛び込めるっつて、それは「新しい何かを知ることができる」ってことで、そう考えると「おぉ、またひとつ成長できるじゃん」って、不安がワクワク感に変わってくるだろ。
 
またよく言う不安のひとつに、「失敗したら」って、成功のイメージじゃなく、失敗のイメージばかりに囚われて、不安になってしまうことあるよね。
そんなときイチローの話を思い出すんだ。
イチローって、10年連続シーズン200本安打のとてつもない記録を打ち立てているんだけど、その記録を打ち立てていたころ、イチローが打率ではなくって、200本安打にこだわってるといったことを書いていた本を読んだことがあったんだ。
 
そのとき、「あぁ!」って、納得したことがあってね。
 
「打率に目を向けるのじゃなく、ヒットを増やしたいと考えて打席に立つ」
 
そう、打率って、打たなければ下がるんだよね。だからスランプになると、どんどん打率が下がっていくことで逃げだしたくなるんだ。
でもヒット数って、打てなくてもそれまでのヒット数は減らないんだよ。
減らないということは、増やすことだけ考えて打席に立てばいいんだよね。
「打てなくたってもヒット数が減るわけでもないし、打席で思い切りバットを振ってくればいい!」
そう思うと、何かヒット打つということが楽しく思えてなってくるし、「思い切りがんばってくるか!」ってプラスのエネルギーが湧いてくるんだよね。
 
結局、「不安」ってヤツは、「今」じゃなく、「将来」を考えてしまって「不安」が包み込んでしまうと思うんだ。
だったら、「今」を見て生きるために、「今」を「知る」ことが成長だと考え、「今」をなくすのではなく増やす「今」を見つめる考えを持てばいいってことだと思うんだ。
 
ちばてつや先生と、東京へ戻る車の中で話していたとき、ちば先生がこんなことを言ったことがあるんだ。
 
“「あしたのジョー」って、矢吹丈は将来じゃなく、目の前の「今」だけを必死に生きたんだよね。そうやって必死に生きたものだけにに明日がやってくる…それが「あしたのジョー」だったかもしれないね。”
 
このちば先生の言葉はぼくの宝ものなんだ。



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