思い立ったら日記 2015



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2015年06月30日



2015年6月30日
 
自分が歩んできた人生を思ったとき、「縁」と「行動力」によって「今」が間違いなくあると思う。
「縁」というのは、「行動力」によって生まれてくるもので、当たり前だが、人の10倍の「行動力」を持てば、人の10倍の「縁」が生まれてくる。
 
この「縁」というのは、もちろん人だけじゃない。
海や山の自然であったり、野球やボクシングといったスポーツであったり、マンガだってそうだ。
この世のすべて、森羅万象「縁」によって出会ってきた。
 
最近、つくづく思うことがある。
「縁」があって、今、宇都宮の大学に週に4日〜5日来ている。
宇都宮へ来ることでできなくなった、書けなくなったものもいくつもあった。
 
たとえばボクシング。
80年代、浜田剛史、大橋秀行、畑中清詞…
何年か追い続けたボクサーたちが世界チャンピオンになっていった。
毎日のようにボクシングの練習を見に行き、試合を見に行き、写真も撮りつづけ、プライベートでも友人になっていったボクサーたち…その中でボクサーたちと自分の思いを「心」で書いていく。
自分しか書けない、オンリーワンの原稿が書けていた日々だった。
 
そして今、そのボクサーたちが指導者となり、村田、山中、井上、田中といったとてつもなく魅力的なボクサーが育ってきている。
指導者となったボクサーの友人たちから電話が入る。
「凄いボクサーがいるので取材に来ませんか?」
「あのころのようにボクシング書いてくださいよ」
 
だが、あのころのように毎日、ジムに試合会場に、キャンプの場に、ロードワークの場に行くことはできない。
今の状態で行けるときだけというスタンスで取材し、書くということは選手に失礼になるし、「心」で書くところまでとてもじゃないがいけない。
悔しい思いがわき上がり、「今」大学にいることを恨みさえする心がわき起こってくる。
 
だが、「今」、大学(宇都宮)にいることを実は考えないで、東京を見ているだけの自分がそこにいるから、そんな思いが湧き上がったのだ。
 
「今」、「ここにいる」自分を考えてみる。
 
「今」ここで生きている「意味」を考える。
簡単なことだ。
今、大学で宇都宮で生きている時間が長いのなら、「今」ここにいる「意味」を考える。
ここでしかできない「自分」を考える。
大学で生きている「意味」を考え、宇都宮で生きている「意味」を考える。
 
今、ぼくのまわりから、新しいマンガが生み出されている。
他の大学とも組んで、デジタルでの新しい表現を生み出している。
 
そして自転車の街、宇都宮で、何人ものロードレーサーたちと知り合い、そのロードレーサーを書きたいと思った。
だから、この一年、ロードレーサーを追いかけ取材している。
 
大学へ来たことで、行政、文科省、民間のいくつものソフト会社ともつながり、ソフトの開発から、街つくりまでかかわるようになっている。
 
つまりは「縁」が広がっていっているのだ。
ボクシングと出会い、「縁」がつながり、ボクサーたちを追いかけ、いくつものボクシングの話を書いてきた。
その「縁」にすがるのではなく、自分が「今」生きている場所を考えると、まったく違った場所からも「縁」が生まれてくる。
そして「行動」。
 
宇都宮、栃木の時間の「今」、ひたすらロードレーサーのようにひたすらペダルを漕ぐことで、毎日「縁」が生まれて、「やること」、そして「やりたいこと」が生まれてきている。
 
忙しいが、その忙しさが楽しいし、ありがとうの気持ちで「今」、「この地」で「行動」できている。
 
すべて「縁」によってである。

2015年06月01日









2015年5月30日
 
「バカボンド」の37巻に、心に響いた場面がある。
武蔵を慕う、父親に死なれた少年、伊織が、武蔵が自分の元を去っていったのかと、一本の木の前で、今にも死にそうな飢えた身体で佇み涙する。
泣く伊織に亡くなった父の言葉が聞こえてくる。
 
「さびしいか伊織?」
「さびしくなったら木を見ろ」
「父ちゃんはきっとそこにいる」
「死んだらきっとそこにいる」
 
「だってな伊織、木は人よりも長く、ゆったりとした時間を生きてるから」
「もし木が枯れて倒れたら、川の石を見に行くといい」
「父ちゃんはきっとそこにいる。死んだらきっとそこにいる」
 
「石は木よりももっと、ゆったりとした時間を生きてるから、何も心配しなくていい」
「木も石も、本当のおまえを知っている」
 
「好きなように生きなさい」
 
侍に憧れる伊織は、今にも死にそうな飢えた身体をひきずり、木刀へと手を伸ばし掴む。
 
たまらん場面だ。
 
木は人よりも長くゆったりとした時間を生きている…
 
鹿沼に石裂山という大好きな山がある。
修行の山だ。
空海も尊敬していた、14年かけて男体山を開山した、山岳修行僧の勝道上人もこの山で間違いなく修行をしていたはずだ。
勝道上人が生きていたのは1300年も前の話だが、この山の中に、千本かつらという、桂の木がある。
樹齢は1000年を遙かに超えている。
 
渓に立つこの木は幾度の洪水にも、土石にも耐えてここに立っている。
その証拠に、樹の中にいくつもの土石が埋め込まれ、木の一部となっている。
 
きっと、いや、まちがいなく勝道上人もこの千本かるらを見上げたにちがいない。
「なぁ、勝道上人はどんな人だったんだ?」
ぼくは千本かつらを見上げ必ず問いかけてみる。
 
宇都宮へ来るようになってから、年に6〜7回はこの場所にやってくる。
観光地の山の中ではなく、登山道を沢伝いに登り、その沢が渓となったところに突然聳えるこの千本かつら。ぼくはこの場所で人に会ったことはない。そんな場所にある樹だ。
だからいつもひとり、千本かつらと会話ができている。
 
冬は沢の水が凍り、まるで老人のように千本かつらは枝を広げている。
だが、春が訪れ、夏が近づくと、まるで赤ん坊のように、千本かつらは眩しい緑の葉に包まれる。
その繰り返し。
 
5月の29日もひとり石裂山へ登り、千本かつらに会ってきた。
今年に入ってあまりに忙しい日々なのだが、身体の疲れ、心の疲れがここへ来ると洗い流される気持ちになる。
 
初夏の季節。
千本かつらの下に立ち見上げると、新しい葉が生まれ、まるで生命が降ってきている。
 
「なぁ、勝道上人もこうやって生命を感じたのかな」
生まれたばかりの緑の葉が静かに揺れている。
「そうか、勝道上人も生命を感じたんだな」
ぼくはそっと、千本かつらに触れてつぶやく。
生まれたばかりの葉を指先でつまむと、まるで血液が流れるような、葉から鼓動を感じる。
 
木はぼくたちの生きる何倍もの時間をゆったりと生きている。
そしてぼくたち人も自然の一部だと…自然に背かないで、自然を壊さないで生きることがしあわせな生き方だと、時間をゆったり生きている木は教えてくれる。
 
「好きなよう(自然)に生きなさい」

2015年05月01日




2015年5月1日
 
ロードレースの選手たちを追いかけている。
那須ブラーゼンの選手を中心に、この一年、時間の許す限り見ていくと決めている。
 
ロードレースに興味があったわけでもなく、ロードレースを書くという仕事の依頼があったわけではない。
大学で宇都宮に来てから、「古舎」という店で、ロードの選手たちと飲んでいるうちに、彼らの生き方を見たいと、知りたいと思い始めたというわけだ。
 
選手たちと熱い話を何度も深夜まで聞き、語りあった。
 
ボクサー、サッカー選手、野球選手、ランナー、格闘家…
今まで何人ものプロとして生きてきたアスリートを追いかけ書いてきた。
そしてプロで生きるアスリートから、震える心を感じながら、ぼくはその思いをいろいろなところで書いてきた。
 
そして今、この歳になったことでだろう。
あの震える心が何だったのか、それがロードレーサーの仲間たちと語りあい、練習、試合を見ていく中で自分なりの答えが見えてきている。
 
そのひとつが、ただただ「行動」する以外にない生き方。
悩み、悩み、悩み、だがその悩みの中でただただ走る。
走ることを辞めない。
つまりは「逃げない」生き方だ。
 
人は「しない」ことを「できない」と言って理由をつけ、正当化し、そして安心してしまう。
それが「逃げ」だ。
 
だが、「行動」する生き方はぜったいに逃げないでまず走る。
 
自分が弱いから「できない」、「動けない」、「一歩も前に出られない」のではなく、「動かない」から「弱い」ということを知っている。
 
「力」がついてからやる、ではなく、やることで「力」がつくということを知っている。
 
だから悔しがる。
成長したいと願うから、苦しみ、そして悔しさに唇を噛みしめ、ペダルを踏み、走る。
成長するためにペダルを踏む。
 
そんなロードレーサーを見ながら、どこか自分も悔しがっている。
ペダルを自分も踏みつづけているか、走り続けているか、言い分けして逃げてないか…
ロードレーサーからもらう思いが、自分の思いと重なり心が震える。
 
あぁ、今日もぼくは「逃げない」で走り続けただろうか。

2015年04月01日


2015年3月31日
 
「出る杭は打たれる」ということわざがある。
昔、このことわざのつづきとして、何に書いていたのかは忘れたが、こう書いてあった。
「出ない杭は腐る」
 
この言葉をぼくは、心の中にとどめ、もう何十年もきっと人の何倍も動き回っている。
人より動き、それも新しい動きをすると、まず否定される。
つまりは「出る杭は打たれる」わけだ。
だがそのたびに、「何言ってんだ、動かなければ腐ってしまうぞ」と、自分の心に言い聞かせてきた。
 
日本という国は、つくづく失敗を許さない国なのかもしれない。
野球を観戦していても、たとえば盗塁に失敗する。
すると「何やってるんだ!」と、失敗を責める声が圧倒的だ。
盗塁というものは、リスクを負ってそれでもホームへ帰るためへのチャレンジなのだ。
成功、失敗の前に、勇気を持ってチャレンジしたのだ。
失敗、成功しても、ここは「ナイスチャレンジ」という声が飛ばなければおかしいではないか。
 
つまりは、この国の根本は、チャレンジよりも「安定」が一番の考え方の人で溢れている国なんだろうな。
 
自分で言うのは何だが、自分の生き方はつねに「チャレンジ」の繰り返しでここまできたと思っている。
だから激突もあったし、うんざりすることなど日常茶飯事な日々だ。
失敗を恐れて何もしないで腐っていく人たちを何人も見てきた。
 
だから、自分は「腐るまい」とまた動く。
 
今、いくつもの大きな動きの渦の中に自分はいると毎日感じている。
ここ何年も動いてきたことで、そのつながりが、まるでパズルのようにはまっていっている。
とてつもなく忙しいが、とてつもなく楽しい。
そう、動きつづけるということは、動いただけ可能性が広がり、ワクワクが宇宙のように無限大に膨らんでいくということなのだ。
 
春の桜が舞っている。
桜を見るたびに、自分はあと、何回、桜を見ることができるのだろうかと感じてしまう。
 
今のように本気で身体をはって動くことのできる、桜を見られることのできる時間は、もう10年ないということは自分でわかっている。
だから、今年はどこまでトップスピードで走れるか、走り続けてみようと思っている。
 
もう、本気で動ける時間は少ししか残されてないと、桜を見上げて感じている。
 
「出る杭は打たれる。出ない杭は腐る」
 
だから出つづけ、チャレンジしつづけ、打たれても、打たれても出つづける生き方を死ぬまでつづけていきたい。
腐ってしまえば、それはもう生きている意味などないことだから。

2015年02月27日




2015年2月27日
 
旅に出ている。
今、その旅の途中でこの日記を書いている。
 
今回は四国の高知、四万十へ那須ブラーゼンのキャンプ取材を目的としての車での旅だ。
「それは旅ではなく、取材で行ってるわけだろ?」と思うかもしれないが、ぼくの取材はいつも旅だと思っている。
 
ぼくの「取材が旅」というのは、企画先行で、載る場所がすでに決まってやる取材ではない。
自分の中でふつふつと興味が沸き、スポーツなら、その選手が、人間が、チームが知りたくて、追いかけて、追いかけて、追いかけて、何年も追いかけて、そして手応えを感じたところで形にしてきている。
知りたくて、見たくて、その先にある「感じる」を追いかけつづける。
だから旅だ。
 
旅を追いかけていく中で、浜田剛史のように、「あと一試合」と決めていたボクサーが、2年間、追いかけ続けている中で世界チャンピオンになったこともある。
1年から見てきた高校野球のチームが、3年のとき夏の甲子園で優勝したこともある。
もちろん、その逆で、選手の挫折もいくつも追いかける中で見てきたし、書いてもきた。
 
旅というのは先行きがわからない。
わからないからおもしろいのだ。
予測ができる旅なんて、それは旅じゃないとぼくは思っている。
 
たとえば、今追いかけているブラーゼンの清水監督、選手たちにしても、一年一年がつねに勝負の世界。だから覚悟を持って、その一瞬、一瞬に命を削り生きている。
日常の繰り返しじゃない。
何がおこるかわからない、非日常の毎日である。
だから一瞬、一瞬が勝負なのだ。
そう、旅のように生きるということは、不安のない日々を生きることではなく、「明日のため」に「今」を、ただ「今」を全力で生きることなのかもしれない。
 
そして旅には出会いがある。
それは人であり、海や山、森、風といった自然であり、懐かしい思いを感じるといった、自分の「心」との出会いである。
 
おもしろいもので、旅に出ると、いつも近くにいることで、「気づき」を忘れている、その人が大事な人だと思い出させてくれる。
 
心も自然と同じなのかもしれない。
一瞬、一瞬、同じ海は、同じ空は見ることはない。
つねに、その一瞬に生きている。
だが、その一瞬の繰り返しは、いつまで見ていても飽きることなく、感動がある。
 
今、ぼくは長野の伊那にいる。
晴天の中、粉雪が舞っている。
南アルプスが目の前に美しく広がっている、喫茶店で美味しいモカを飲みながら書いている。
旅の時間だ。



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